そんなタクシー会社を“延命”させていたのが、東京五輪開催という一縷(いちる)の希望や、インバウンド需要増に伴う、2017~2019年末まで続いたタクシーバブルだ。結果的に、大都市圏の多くの企業を潤わせた期間が、新型コロナ直撃の傷口を広めた側面もある。
「流転タクシー」を連載している筆者だが、本音を言えば、連載を始める前は、一部のタクシードライバーに持つイメージは最悪に近いものだった。やる気が感じられない応答、道の間違えや、車内に充満する独特の匂い。8割以上のドライバーは真摯に対応してくれるが、運転手が客を選んだというバブル期を引きずったような傲慢な高齢ドライバーには、不快な思いをしてきたことも少なくない。不思議なもので、8割の通常よりも、2割のひどい体験のほうがタクシーのイメージとして脳裏に残っていた。
そんな固定観念が一変したのは、あるドライバーとの出会いが大きい。2020年2月に人形町から乗った車の運転手、海野さん(仮名)。法人で10年、個人タクシーとなり8年が経つベテランでもあり、70歳を迎えても精力的に働くドライバーだった。何時であろうと電話で居場所を伝えると、毎回ほぼ時間通りに店に横付けして出迎えてくれた。
この仕事に就く前は、20年以上勤続した建築会社で耐震補強工事を担当していた。バブルの恩恵を受け、仕事は引く手あまた。給料も手取りで40万円を超えていたという。
だが阪神大震災を境に、仕事が激減。ある日上司から、「仕事がないから給料は払えないが我慢してほしい」と伝えられた。仕事は好きだったが、30年以上残るマンションローンの支払いが頭をよぎり、やむなく退職した。職を転々とした後、東京でタクシードライバーの職に就いたという。
人の距離感やしがらみに疲弊して故郷を出た
出身地は茨城県日立市。2017年10月、日立市の県営住宅で家族6人が殺害されるという凄惨な事件が起きた。その現場からほど近い場所で海野さんは生まれ育っている。筆者が記者として現場を訪れていたことを伝えると会話が弾み、故郷の話に花を咲かせた。取材自体が難航したという話をすると、「閉鎖的な場所ですから」と嘆息した。
「故郷を出たのは、人との距離感やしがらみに疲弊しちゃったから。誰々がどこに勤めている、息子さんがどこの学校に行った、とかね。そういう見えみたいなものが、すごくくだらなく思えてね。海が綺麗ないい街で、人もいい。でも、今は1年に一度親父の墓参りで帰るくらいだな。それくらいで十分なの。もうね、友人もほとんどいなくなっちゃったし、私の中では故郷は捨てたという感覚なんです」
何気なく交わした会話ではあったが、深夜に聞く身の上話がひどく心に染みた。あまたの乗客との間で培ってきたのであろう、聞き心地のいい話術も印象的だった。
以降、タクシー利用の際はできるだけ海野さんに連絡して送迎を頼んだ。
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