そのため、子どもの教育についてストレスが大きいとの不満はあっても、夫との家事分担について不平等という声はインタビューではそれほど出てこなかった。
教育は母の役割?
それでも、外注できずに「親」の元に残る家庭の役割、「教育する役割」については、定量的にも母親に偏りがちであるとの調査結果が出ている。実際に聞き取りをしても、確かに子どもが宿題をやっているかを監督したり、子どもの塾選びなどのマネジメント業務をしているのは、母親ばかりだ。
たとえば金融機関勤務のAmyさん(仮名)は、「夫は家族のことを大事にする人」と夫を立てる。一方、激務のかたわら子どもたちの面倒をほぼ母親の自分だけが見ていることについて掘り下げていくと、「夫はたとえば子どもの宿題をみるときに『僕はやり方知らないから」といって放り投げることがある。私だって知らないけど、学びなおししながらやってるのに」とこぼす。
企業内弁護士のBellaさん(仮名)は、夫よりも稼ぎが多く、夫のほうが柔軟な働き方をしている。にもかかわらず、Bellaさんのほうが子どもの教育役割を多く担っている。私が役割分担の理由を尋ねると「なんでだろう? 私のほうが夫よりも子どものことをわかっているし、心配している。強制されているとは感じないけれど、夫がやらないから、結果的に私がやることになる……」と言う。
教育は古代から母の役割だったのだろうかというと、決してそうではない。むしろ、日本でも江戸時代までは父の役割であることが指摘されてきた(S・D・ハロウェイ『少子化時代の「良妻賢母」』など)。つまり、母親が教える能力のない存在として下に見られていた時代は、母がやるものではなかった。
一方、同類婚が増えた現在は、シンガポールでもインタビューした大半のケースで夫婦はほぼ同等の学歴を保有しているが、母親のほうが低学歴であっても母親が教育役割を担っているケースが大半だ。
そして、こうした役割分担はおおむね「個人のキャラクターによるもの」と夫婦の個性で得意なところを生かした結果であると語られる。でもその割には、学業面の役割は母親に大きく偏っていて、あまりにも逆のケースが少なすぎないか。なぜなのか。
話を聞いていくと、いくつかのポイントが浮かび上がってきた。1つ目は、学校の成績の責任を母のものとするシンガポールの「世間」の存在だ。
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