東大教授が語る「人がサイボーグになる」の現実度 「ネオ・ヒューマン」が示す「未来の人類」の姿

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現在、一部のアスリートの中で話題になっているものに、頭に電流を流す「ドーピング」があります。経頭蓋電気刺激法と言われるもので、それを行うと、身体のバランスが良くなると言われています。場合によっては、計算が少し得意になったり、記憶力が良くなったりする効果もあるとされています。

では、大学の入学試験中に、頭に電流を流している学生がいたらどうなるでしょう。オリンピックで試合前に電流を流す選手を見て、応援したいと思うでしょうか。

こういったさまざまな課題がありますから、ピーターさんの行為は、針の穴に糸を通すような、まさにギリギリの線ではあります。

もちろん私たちの研究でも、定期的に倫理や哲学の先生方と議論するようにしています。ただ、悪影響は予測できないところがあり、運用しながら答えを見つけるしかないのが現状です。

共感から対話を生み、社会を変える

倫理学の世界では、全世界どの時代にも通ずるものを構築しようというモチベーションがあります。しかし、振り返ってみると、倫理観というものは、地域によっても時代によってもアップデートされるものです。

臓器移植も脳死も、相当長い間議論されていました。体外受精は、かつては「試験管ベイビー」と呼ばれて拒絶する声も多くありましたが、いまでは少子化のために助成金が支払われており、さらには保険適用が議論されるまでに変わっています。

そう考えると、ゆっくりですが、社会のほうが変わって、受け入れられていくのではないかと私は思います。

そのためには、やはり、人々が納得できるような実践例、もしくは、共感を集めることが必要です。その意味においても、『ネオ・ヒューマン』は共感を呼ぶ1冊です。

どこかの国の政府が、軍隊を増強するために行ったということであれば、「そんな手術などやるな!」という反対が巻き起こってしまいます。でもピーターさんならば、世の中の多くの人が、不快感をもよおさずに素直に応援できるのではないでしょうか。そこから対話がはじめられるでしょう。

倫理の問題を考えるとき、最終的には死についての議論を避けることはできません。

私は、人の死には「一人称の死」と「二人称、三人称の死」があり、今後は両者の差がどんどん広がるのではないかと考えています。

ピーターさんは、AIを使って魂もアップデートできると本書をまとめていますが、私の現時点での仮説では、「一人称の死」は、「肉体の死」と同義である時代がまだ続くと思います。つまり、私の意識としては、肉体が死んだときが文字どおり「最期」だということです。

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