「マイアミの奇跡」川口能活が五輪選手に求める事 アトランタから25年、指導者になった守護神

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ただ、20年前の2001年に川口がサッカーの母国・イングランドに渡った頃は、簡単に日本人が受け入れられる環境にはなかった。GKという1人しか出られない特別なポジションであれば、なおさらハードルは高い。ネイティブ英語の壁に阻まれ、小柄な体躯を含めて厳しい目にさらされた彼は長期間試合に出られず、セカンドチームやユースの選手との練習を強いられる苦労も味わった。

「あえて厳しい環境に身を投じた能活さんがいたからこそ、自分も思い切って欧州にチャレンジできた」と川島永嗣(ストラスブール)も神妙な面持ちで語ったことがあるが、先駆者・川口の挑戦は後進の道を開く大きなきっかけになったのだ。

「世界を体感したことは大きな財産」

「アトランタ五輪、1998年フランスW杯を経験して、純粋に海外にチャレンジしたいと思ったんです。誰かが扉を開かないことには絶対に道は作れないとも感じていたので。実際には試合に出られない時期も長くて、苦しみましたし、2002年日韓W杯にも影響はありましたけど、世界を体感したことは自分の大きな財産になりました。

東京五輪に出るメンバーにも海外で戦っている選手はいます。それも大事なことですけど、舞台はどこであっても選手としてつねに高いレベルのパフォーマンスを見せられる選手であってほしい。僕はそう思います。今回のGKである大迫敬介(広島)、谷晃生(湘南)、鈴木彩艶(浦和)の3人にはプレッシャーの中で結果を残してほしいし、欧州5大リーグで戦っている永嗣みたいに高い領域を目指してほしいです」

そのGKトリオは、いずれも今季J1リーグで定位置を確保。着実に試合経験を積み重ねている。川口の求める「冷静さ」と「大胆さ」を兼ね備えたポテンシャルの高い面々だ。

だが、川口自身が20歳前半だった頃に比べると、ギラギラした情熱や強国に噛みつくほどの野心が少し足りないようにも映る。「最後の砦」として自チームのゴールを守り抜かなければならない守護神はもっともっとオーラを出していい……。45歳の指導者になったかつての名手もそんな思いを抱いているようだ。

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