「マイアミの奇跡」川口能活が五輪選手に求める事 アトランタから25年、指導者になった守護神

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
東京五輪の開催を前に川口能活GKコーチにインタビューした(写真:Etsuo Hara/Getty)

4万6000人超の大観衆で膨れ上がったマイアミ・オレンジボール。大半がカナリア色のブラジルサポーターというアウェームード一色の中、1996年アトランタ五輪・ブラジル戦はキックオフされた。

28年ぶりに五輪の大舞台に挑んだ日本の守護神・川口能活(現U-24日本代表GKコーチ)は、1994年アメリカワールドカップ(W杯)優勝メンバーであるベベットら世界的FW陣のシュートを次々と阻止し、左足の名手、ロベルト・カルロスの直接FKを確実に止める。

そして後半、相手守備の混乱に乗じて伊東輝悦(沼津)が値千金の先制弾を挙げる。虎の子の1点を90分間守り切った日本は1-0の大金星を挙げたのだ。これが、1996年7月22日(日本時間23日未明)に起きた「マイアミの奇跡」である。

「マイアミの奇跡」の立役者・川口能活

「自分自身にとってアトランタは初めての世界大会。ブラジルと同組になったときから『自分がどれだけ通用するか』っていう楽しみしかなかったんですよね。実際にピッチに立ってカナリア色のユニフォームを前にしたときは夢のようでした。胸が躍るというのかな。正直、怖さもありましたけど、最初にいい感触でボールを触って、いい入りをすれば大丈夫だと思った。

ロングボールを普通にキャッチしただけなんですけど、感覚がすごくよくて、そこからシュートを打たれても楽しみに変わっていった。高揚感と冷静な判断力をいい具合のバランスで保てたおかげで、本来持っていた力を出し切ることができたんだと思います。チームも一体感もすごかったし、全員のハードワークがあってこその勝利だったと感じますね」

歓喜の日から丸25年を迎える2021年7月22日。東京五輪に挑むUー24日本代表は初戦・南アフリカ戦(東京)を迎える。新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期された今回の五輪開催に当たっては直前になっても根強い反対論が消えず、サッカーは宮城県以外の無観客開催も決定した。それでも、森保一監督は「われわれは金メダルを目指す。勇敢に戦う姿を見せて、多くの人に元気と勇気を届けたい」と強調。頂点に立つべく準備を進めている。

「マイアミの奇跡」の立役者になりながら、1次リーグの壁を超えられなかった川口は、自身の経験も踏まえつつ、GKコーチとして指揮官を精力的にサポートしていく覚悟だ。

次ページ「ブラジルを倒すこと」がすべてだった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事