「ステージ4のがん」45歳男性が若者に伝えたい事 中学生に語りかける「未来は変えられる」

✎ 1〜 ✎ 12 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 最新
拡大
縮小

志賀さんが肝臓がんの告知を受けたのは、旅行代理店に入社して3年目の25歳。営業マンとして平日は終電まで働き、週末はツアー添乗員として全国を飛び回っていた2001年ごろのことだ。大きな仕事を任せられることも増え、仕事が楽しくなり始めていた矢先だった。

「ある日の残業中に刺すような腹痛に襲われて、翌朝に地元の病院に行くと即入院と言われました。私は胃潰瘍かなと思ったのですが、主治医には肝臓の病気と診断され、10日後に大学病院に転院させられたんです」(志賀さん)

20年前は本人への「告知」の仕方も違っていた

この連載の一覧はこちら

実は、最初の病院で志賀さんの両親は「肝臓がん」と知らされていた。だが、両親が「息子には伏せてほしい」と要望し、志賀さん自身は正確な病名も知らないままでの転院だった。本人への告知が大前提の今と20年前では、がんをめぐる状況はそれほど違っていた。

後日、正確な病名を知ると、実家暮らしだった志賀さんは「親より先に死ぬことは最大の親不孝」と、申し訳ない気持ちに苦しんだ。

「ステージ4と聞いて、人生終わったとも思いました。1階にある診察室から11階の病室まで、どう戻ったのかの記憶もありません。その日は一晩中泣いて、どうすれば治るのかに気持ちを切り替え、まずは自分の体に何が起きているのかを正確に知ろうと、先生や看護師さんに質問をしまくりました」(志賀さん)

切除手術と抗がん剤治療を行なったが、翌年に再発。当時は試験段階だった陽子線治療(体表面の正常組織を迂回して、深部のがん組織だけにダメージを与えられる特殊な放射線治療の一種)が効いて、病後19年目の今を無事に過ごしている。

当日の授業でも、志賀さんは当時の絶望を生徒たちに率直に語った。ただ1点、がんの告知を受けた際の気持ちを「(両親に対して)取り返しがつかないことをしてしまった」と書いたスライドの右下隅に、「人生オワタ\(^0^)/」の手書きマークまでちゃっかり加筆していて、生徒数名の忍び笑いを誘ってもいた。もしや大阪人?(いいえ、生まれは神奈川で、12歳から茨城県人)

次ページ自分と生徒と社会のための「三方よし」の視点
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
パチンコ業界で「キャッシュレス」進まぬ複雑背景
パチンコ業界で「キャッシュレス」進まぬ複雑背景
イオン、PB価格据え置きの「やせ我慢」に募る憂鬱
イオン、PB価格据え置きの「やせ我慢」に募る憂鬱
「イトーヨーカドー幕張店」激戦区の大改装に差した光明
「イトーヨーカドー幕張店」激戦区の大改装に差した光明
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT