志賀さんが肝臓がんの告知を受けたのは、旅行代理店に入社して3年目の25歳。営業マンとして平日は終電まで働き、週末はツアー添乗員として全国を飛び回っていた2001年ごろのことだ。大きな仕事を任せられることも増え、仕事が楽しくなり始めていた矢先だった。
「ある日の残業中に刺すような腹痛に襲われて、翌朝に地元の病院に行くと即入院と言われました。私は胃潰瘍かなと思ったのですが、主治医には肝臓の病気と診断され、10日後に大学病院に転院させられたんです」(志賀さん)
20年前は本人への「告知」の仕方も違っていた

実は、最初の病院で志賀さんの両親は「肝臓がん」と知らされていた。だが、両親が「息子には伏せてほしい」と要望し、志賀さん自身は正確な病名も知らないままでの転院だった。本人への告知が大前提の今と20年前では、がんをめぐる状況はそれほど違っていた。
後日、正確な病名を知ると、実家暮らしだった志賀さんは「親より先に死ぬことは最大の親不孝」と、申し訳ない気持ちに苦しんだ。
「ステージ4と聞いて、人生終わったとも思いました。1階にある診察室から11階の病室まで、どう戻ったのかの記憶もありません。その日は一晩中泣いて、どうすれば治るのかに気持ちを切り替え、まずは自分の体に何が起きているのかを正確に知ろうと、先生や看護師さんに質問をしまくりました」(志賀さん)
切除手術と抗がん剤治療を行なったが、翌年に再発。当時は試験段階だった陽子線治療(体表面の正常組織を迂回して、深部のがん組織だけにダメージを与えられる特殊な放射線治療の一種)が効いて、病後19年目の今を無事に過ごしている。
当日の授業でも、志賀さんは当時の絶望を生徒たちに率直に語った。ただ1点、がんの告知を受けた際の気持ちを「(両親に対して)取り返しがつかないことをしてしまった」と書いたスライドの右下隅に、「人生オワタ\(^0^)/」の手書きマークまでちゃっかり加筆していて、生徒数名の忍び笑いを誘ってもいた。もしや大阪人?(いいえ、生まれは神奈川で、12歳から茨城県人)
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