がん体験を語るスピーカーバンクの代表を、志賀さんに引き継いだ河口雅弘・同顧問(76)は、彼の人柄をこう語った。
「まじめで温厚。今まで怒った顔は見たことがなく、つねにニコニコしていますね。営業マンらしく人脈作りがうまいが、かといって、長いものに巻かれるタイプでもなく、相手が誰であれ筋はきちんと通す人。代表になった途端に独断専行になる人もいますが、彼はどんなことでも私に事前に相談してくれますよ」
河口さんから団体の代表を任せたいと相談されると、志賀さんは二つ返事で快諾。活動に力を入れるため、当時の会社も辞めると即決し、河口さんを大いに慌てさせた。実際に約3カ月の無職期間を経て、現在の建設会社に入社している。
「小さい子どもさんも2人いるし、代表になっても家計の足しには全然ならない。せめて転職先を決めてからと私は止めたんですけどね……」(河口さん)
そんな向こう見ずな一面も志賀さんにはある。スピーカーバンクは現在、20代から70代まで男女約30人の語り手がいる。
志賀さんのスピーカーバンク活動への思い
志賀さんが発症した当時で調べると、25歳から29歳までで肝臓がんになった人は5年間で、全国でわずか5人だったという。
「そんな貴重な経験をしたのなら生かさないといけないと思い、実は患者会の活動を始めようと当時も考えたんです。しかし、20年前は乳がんの患者会しかなくてね、今みたいにSNSやツイッターもなくて、いったん諦めました」
その後、子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ(CP)」を立ち上げた故・西口洋平代表や、志賀さんの地元の茨城でスピーカーバンクを始めた河口さんらの活動に触発され、両方の活動に加わった。
「スピーカーバンクの活動で言えば、自分の経験が生かされ、伝える子どもたちのためにもなり、経験者の生の声を伝えることは社会のためにもなる。いわば『三方よし』なんですよ」
仕事と父親としての役割以外に、面識さえない児童や生徒、さらには社会をも視野に入れて考え、行動できる志賀さんはうれしそうな顔で強調した。
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