自らの立場に悩み続けた「芥川龍之介」壮絶な最期

神経衰弱による不眠症、幻覚や妄想知覚も

そんな中、彼の前に現れたのが、歌人でアイルランド文学者の片山広子(筆名・松村みね子)だった。芥川より14歳年上の彼女には、すでに夫も子供もいた。芥川は出発期の1916年に、広子の第一歌集『翡翠(かわせみ)』の書評で、「在来の境地を離れて、一歩を新しい路に投じようとしている」と述べて、その新鮮な歌風を評価していたが、軽井沢で実際に会って話してみると、その文学的才能に強く惹かれるものを感じたのだ。

「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、『越し人』等の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した」

芥川は後に、自伝的小説『或る阿呆の一生』(1927)にこう書いている。「越し人」は、越の国の人の意味で、新潟に住む広子のこと。例えば、『越し人』には、「むらぎものわがこころ知る人の恋しも。み雪ふる越路のひとはわがこころ知る」(私の心を理解できる人が恋しい。雪の降る越の国に住む人は私の心を知っている)という歌がある。

ブルジョア作家という批判にさらされた

そのかたわら、軽井沢滞在中の芥川は、社会主義関係の書物を何冊も読んで勉強した。そのころは、1917年のロシア革命後の世界情勢を背景に、日本でも社会主義を志向するプロレタリア文学が盛り上がりを見せていた時期だった。そのような時代の流れの中で、ブルジョア作家という批判にさらされることもあった芥川は、自己の文学の方向性を見定めるため、当時最新の社会主義文献に取り組んだのである。

例えば、このときに読んだ、ドイツの社会主義者リープクネヒトによるマルクスの伝記的回想は、晩年の代表作『玄鶴山房』(1927)の結末に小道具として登場する。

「……それは小ぢんまりと出来上がった、奥床しい門構えの家だった」という描写で始まる『玄鶴山房』の家の間取りは、芥川の田端の自宅とよく似た設定になっているが、その離れの一室で、画家の堀越玄鶴は、自己の資産の防衛や妻妾同居の家庭のいざこざに苦しみながら、肺結核で息を引き取る。その葬儀のおり、彼の婿の従弟の大学生が読んでいるのが、リープクネヒトなのだ。

このように、文学の面でも、実生活の面でも大きな危機に直面しながら、それを辛うじて切り抜けようとしていたのが、1920年代半ば頃の芥川の状況だった。鵠沼での療養、書斎での最期時代の動きに敏感に反応し、読書をとおして最新の文学・思想を追いかけ続けた芥川の家に、次々と書物が増えていくのは当然の流れだろう。

当時の田端の家の書斎の写真からは、机の周りに本がうずたかく積まれ、床の間はもとより、部屋の窓の半分くらいまで書棚で塞がれた様子がうかがえる。そのため、1924年の末、芥川は田端の家の庭の一角に、8畳と4畳半の書斎を増築した。これでようやく、和漢洋にわたるおびただしい数の蔵書が整理される場所ができたわけだ。

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