「人は見た目じゃない!」人類の理想が実現する日 さらば差別!「ネオヒューマン」の平等な世界
私は幼少期にアメリカで暮らしていたのですが、私が住んでいた地域では、ゲイもレズビアンもみんなオープンでした。小学生の女の子が、好きになった男の子に告白して、「I'm gay.」 と言われてしまうということも普通にありましたし、中学生になれば、男女でも、ゲイ、レズビアンのカップルでも、気にせずイチャイチャしているという風景が当たり前でした。

日本に帰国して、まだまだ同性愛者は受け入れられていないんだなと思いましたが、ピーターさんの子ども時代はもっとひどかったわけです。
しかし、ピーターさんは、大変な逆境を乗り越えて、恋人のフランシスさんとご結婚もされています。さらに、難病になっても、それを科学の力で乗り越えていきます。どんなときも未来をポジティブに捉えており、フランシスさんを説得して引っ張っていくほどの強い思い、信念の強さもあります。
協力者だと思っていた人々に裏切られる場面もありましたが、それでもまた自分で動いて、基金を立ち上げ、一からやり直していく。経営者としても共感するものがありましたし、率直にすごい人だと感じました。
帰国子女としての葛藤
ピーターさんが体験した子ども時代の葛藤は、帰国子女であった私にとっても、共感する部分がありました。

アメリカで育ち、13歳で日本に帰国した私は、周囲からなかなか理解してもらえない子ども時代を過ごし、「自分は他の人とは違う」という点でずっと葛藤してきました。
アメリカでは、人種も言語も違っていて当たり前でした。もちろん、女性が好きか、男性が好きかということもです。また、日本では、障害のある子どもは障害者学級に振り分けられていますが、アメリカでは同じクラスで一緒に学んでいました。
グループワークでは、成績優秀な子どもと、発達障害のある子どもがチームを組むということを先生が勧めていましたし、運動会も身体に障害のある子どもと一緒に参加していましたから、私にとっては身近な存在でした。
そういった「人と違って当たり前」という文化のなかでは、大変なことはあっても、心の葛藤というものはありませんでした。
しかし、13歳で日本に帰国したとき、「私は日本人なのに理解してもらえない」という苦しさを抱くようになりました。学校の教育制度も違いますし、アメリカで育ったために、考え方も周囲の人々とはまるで違っていたのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら