「人は見た目じゃない!」人類の理想が実現する日 さらば差別!「ネオヒューマン」の平等な世界

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まず、アメリカの学校は、自由で校則もありません。そして、得意な教科であれば飛び級もできましたし、反対に留年もありました。私は数学が得意でしたから、アメリカでは飛び級で頑張っていたのですが、日本では、得意な数学はいいから、赤点のほかの教科の成績を上げなさいと言われます。

しかし、赤点だった科目で良い成績をとっても特に褒めてもらえませんし、得意な数学もまったく褒めてもらえません。なにをやっても認めてもらえないのです。いったいなにをすれば正しいのかと思いました。

また、「みんな違って当たり前」と思っていたことが、先生から目をつけられる原因にもなってしまいました。担任の先生は未婚の女性だったのですが、「先生は結婚していないんですか?」と聞いたために、ものすごく嫌われることになってしまったのです。

悪気はありませんでした。結婚するかどうか、子どもを持つか持たないか、どちらも女性にとっては自由な選択です。私はそういった価値観で育ちましたから、結婚について聞くことが、悪いことだという感覚もなかったのです。

他にも、アメリカでは普通のことでも、日本では受け入れられないことがたくさんあり、それらを1つひとつ経験することで、やっとわかっていくという子ども時代でした。

海外から見ると日本は特殊なタコつぼ

私はいま、ジェンダーの分野で活動していますが、そこには帰国子女としての葛藤の経験が大きく影響しています。

日本は多くの場合、同じ人種ばかりが集まっていますので、どうしても考え方が偏っていて、みんなと同じでないと認められないというところがあります。そしてそこが、ジェンダーの問題を解決できないことにもつながっているのです。

女性たちが抱えている問題について、説明してもどうしても理解していただくことが難しい方もいらっしゃいます。女性としての権利を主張すると、「女性だけが良ければいいのか?」というご意見をいただくことも多いのが現実です。

アメリカに問題がないとは言いませんが、日本はジェンダーギャップ指数120位と、女性の地位がとても低い国です。にもかかわらず、そこに対する問題意識がほとんどありません。

日本のこういった面は、海外からはかなり特殊に見られています。私が子ども時代に経験した日本の教育も同じで、海外から見れば特殊なのですが、日本に来たからには、その特殊さに合わせなければならなくなるわけです。

しかし、私には日本を変えたいという思いがあります。そのためには、声を上げ続けなければなりません。私自身、ジェンダーの分野でもっと自分の意見を表明し、ピーターさんのように挑み続けることで、解決につなげなければと思っています。

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