50歳で「田舎に移住」1年後に気づいた3つのこと 銀座の職場を捨て三重の寒村に移り住んだ本音

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退職することで会社という組織の人事競争から降りてしまったが、そこで培ったスキルや築いた人脈などの財産を生かす形で、フリーでのキャリア形成につなげている。インターネットが発達した現在、世界は小さくなり、中東の友人らとのコミュニケーションは、都会にいようが田舎にいようが変わらない。

今は、コロナ禍で活動停止状態ではあるものの、中東料理研究家を自称し、中東地域で約10年間過ごした経験を生かして、中東の食文化を紹介する中東料理会や中東料理教室を開催している。田舎暮らしへの転換は、人生の舵を大胆に切ることも大切だが、長年培ってきたものを活用したり、さらに発展させたりする継続性も重要な要素になるのではないだろうか。

ただ、まだまだ世俗の煩悩から解放されていない。友人や会社の元同僚らは、役職に就いて現場でバリバリ活躍中だ。大学院時代の友人らは博士号を取得したり、国際機関で働いたりと、世界を股にかけて活躍している。50代の脂が乗った年代に、田舎暮らしにうつつを抜かしていていいのかという迷いは、なかなか消えない。

45歳で退職した後、数百万円を使ってロンドンの大学院に留学した際、妻には「数千万円稼ぐようになって投資した金額は将来、必ずかえってくるから」と説得したが、月の稼ぎが10万円に満たない今、「あの言葉はどこに言ったの」と軽口を叩かれると、ついつい頭に血がのぼってしまう。

生活は楽しく、ストレスはほとんどない。が、今のままでいいのだろうかという自問が、心の底でわだかまっているというのが正直なところであろう。田舎暮らしに、都会暮らしのような華やかさを添える「何か」が必要だと思う。

田舎暮らしは「付き合いが大変」は本当か

田舎暮らしは、人間関係や寄り合いへの出席など、何かとわずらわしという印象がある。実際、そうした面もあるだろう。筆者が住む集落の場合、自治会の規約には、空き地に雑草を生やしてはいけないとあり、定期的な雑草刈りも仕事の1つ。集落自治会の会合が年に3回、祭りや宗教的な行事が2回はある。出席は義務である。それらをわずらわしいと感じるか、酒を飲みながら地元の人たちと歓談できる楽しい機会と感じるか、人それぞれだろう。

会合には、家族の者が1人参加すればよく、筆者の場合、パートナーと分担し合っている。田舎では、男性が大黒柱として、負担を一手に引き受ける傾向がある。こうした負担は分かち合い、軽減すればよいのではないか。

田舎には、しがらみも多い。多くの人たちが親戚同士だったり、長年の狭い地域での生活で蓄積してしまった諍いや利害対立から人間関係がこじれてしまい、口もきかない状態が長年にわたって続いていたりする。会社員時代にも、田舎生活の大変さは、田舎出身の同僚や先輩から嫌というほど、聞かされた。

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