50歳で「田舎に移住」1年後に気づいた3つのこと 銀座の職場を捨て三重の寒村に移り住んだ本音
専門知識を身につけて研究職に就こうか、起業しようか、それとも田舎に行って自分のやりたいことをやり尽くそうかと思い描いた。結局、防衛省や財団法人研究所への就職に失敗し、起業という決断もできずに、自然と田舎暮らしが始まった。50歳という年齢で、人から見れば、随分と早くに社会を捨てて田舎に隠居する形になった。
会社や組織に属さず、肩書を失った田舎生活は、まさにアイデンティティー・クライシスである。勤め人として家庭の生活費を稼ぎ、描かれた会社のキャリアを着実にステップアップしていき、もはや死語となってしまった感があるものの、「社会の木鐸」として世の中に情報を提供するという使命がなくなった田舎での生活は、自身のレイゾンデートルを失ったのにも等しかった。
50歳といえば、社会人としては一番脂の乗った時期で、会社では部長などの役職として活躍する年代。家族を持ち、会社に勤め、休日や休暇をストレス解消のレジャーで過ごす。そんな生活や人生の方程式が、田舎生活をスタートさせたことで一気に崩れ去った。
精神面の安定をどう図るかも課題に
自らの頭で考えずに、世の中の価値観に基づいて、漫然と生きてきたのかを痛感させられた。肩書も収入源も失った生活になった今、心の拠り所をどう確保するのか。田舎生活への転換に際して、収入や肩書の喪失という即物的な変化への対応も重要だが、精神面の安定をどう確保していくかも課題となった。
田舎生活は、会社から仕事や使命を与えられるわけでも、都会のように世の中の価値観を判断材料にして、自らの生活を描いていくことができない。自分で人生をデザインしていかなければならない。そんな創造性が求められる作業だと思う。
収入や生きる糧といった実質的な問題は、ある程度の体力があれば、クリアできるだろう。同じ集落には、筆者が執筆して「生活費8000円」で話題になった独身男性(40代男性「生活費8000円」田舎暮らしで得た快感)が住んでいる。ここまでストイックに生活費を切り詰める必要はないものの、田舎生活は、自給自足的な菜園づくりや山野草の採取により、生活費は都会生活と比べて格段に安い。
農林業の手伝いもある。体力があるので、地元の人から体力仕事をよく頼まれる。料理が趣味でもある筆者の場合、野菜を育てたり、山野草を採取したり、魚を釣ったりするのは趣味の領域。そんな得意技を生かしながら、ほとんどお金をかけずに食べ物を得ている。逆に、自動車を運転して街に買い物に行く方が億劫だ。特に新型コロナウイルスの感染拡大もあり、人混みにわざわざ出掛けることもない。
世捨て人にならずに田舎生活での精神面での安定をどう図っていくのか。筆者の場合、今もかつて勤めていた会社に定期的に原稿を送ったり、複数の媒体に連載を抱えたりして、なんとなく社会に帰属している感覚を失わないよう心掛けている。
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