グーグルの本質が「たった1つの公式」に表れる訳 なぜ今こそ「量子力学」を学んだほうがいいのか
では、彼らは何を見越してビルにこのような名前を採用したか。それは私は、彼らが当時から「量子(クオンタム)」的な発想を持ち、そうありたいと目指していたからだと考えています。
「クオンタム的な発想」とは何か?
さて、それではクオンタム的な発想とは、いったい何のことでしょうか。
それは、端的にいうと、「論理で説明しきれない、非日常的な考え方」です。
私たちが日常的に経験している世界を記述・説明する機能の象徴が、電子計算機─つまり皆さんが日常で使用しているコンピュータです。現在の電子計算機というのはどういった特徴があるかというと、「0」と「1」という、2つのきっぱりと区別された状態によって、その仕組みが構築されているということです。
つまり、2つのわかりやすい状態、「0か1か」「プラスかマイナスか」「電気が通っているか通っていないか」「スイッチが入っているか入っていないか」「右か左か」「イエスかノーか」を材料とした物理状態によって、動作しているのです。
巷の電子計算機と同様、私たちの思考法の根幹にも、日常的に経験している世界を記述している古典力学が自然と染み込んでいます。これを、「クラシック(古典)思考」と呼びましょう。
一方、古典力学の次なる段階として登場した新しい力学、量子力学においては、考え方はまったく異なります。つまり「0と1が重ね合った状態」が存在し、「0でも1でもある」という物理現象を観測することができます。
古典力学では「まさか」起こり得ることのなかった、電子が「壁の向こう側へ通り抜ける」ような現象も、量子力学では、当然のように起こっていることがわかるのです。
量子というのは私たちが日頃身を置いている日常の世界とは、ひとあじもふたあじも異なるルールで動いています。つまり、量子はその振る舞い自体が、日常感覚的に理解しうるものではないのです。
「古典思考」「クラシック思考」が築いてきた科学技術の最先端には、日常感覚を超越した量子の世界が広がっている。
この事実を受け入れる態度こそが量子的な発想であり、これを受け入れられるかどうかが、今後の思考の発展には欠かせません。
私たちはつい、日常感覚的であることを快いとし、非日常感覚的なことや飛躍し過ぎていることを、改善すべきもの、できれば避けるべきもの、として扱ってしまいがちです。
しかし、私がグーグルで接してきた、エリック・シュミットやラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンやジョン・ハンケといった天才たちの思考は、実は私たちの言う「日常性」とは、まったく別の感覚に基づいてできています。
自らの興味・関心に基づいて新しいものを生み出し続ける天才たちの思考に接近するため、日常感覚至上主義を超越した「非日常感覚主義」としての「クオンタム思考」の習得が、今、求められているのです。
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