「模試は実際には受験しないような学校の名前も書きますよね。だから、模試で出てくる偏差値が、その学校の偏差値だとも言い切れない。あくまでも、目安だと思っていて、大事なのは、目標の学校の過去問でどれだけ合格点が取れるかだと思っていました」
最後の追い込みで文系・理系のプロ家庭教師と連携
それでも、この状態では志望校合格までは難しい。6年生の9月、栄光ゼミナールでの集団授業は続けつつも、家庭教師を変えることにした。トップ校を目指す指導が得意なプロ家庭教師2人を雇い、理系、文系それぞれをお願いすることにしたのだ。最初の面談、家庭教師からの言葉は厳しいものだった。
「お父さん、今の段階でこの偏差値ではご希望の学校は無理ですよ。もうこれは、夢物語のレベルです。本心を聞かせてください」
もちろん、父親も本気で早稲田系の学校を目指させようと思ったのではない。目標を大きく上にすることで、力を伸ばしてくれればいい、そう考えてのことだった。
「本人の夢はプロ野球選手です。なれるかは分かりませんが、6大学野球の学校に入れば、野球を長く続けることができます。やり続けていれば、誰かの目にとまることもあるかも知れません。早稲田といわずとも、6大学野球に参加している大学の付属校に入れればいいなという思いはありました」
そこで現実的な志望校として浮上したのが、今、孝太郎くんの通う学校だった。偏差値は60と決して簡単ではなないが、模試の結果を分析すると、問題が理解できないというよりも、ケアレスミスが多かった。
「これは、歯が立たないんじゃない。模試慣れしていないだけ」と感じた知己さんは、四谷大塚の模試の過去問を取り寄せて、自宅で取り組ませることにした。同時にはじめたのが、志望校の過去問を徹底的にやるということだ。父親の戦略が功奏したのか、11月の模試では偏差値を56まで伸ばすことができた。
しかし、入試前最後の12月の模擬試験では大幅に点を落とし、偏差値48に。だが、これが逆に良かったと知己さんは振り返る。
「秋から徹底して過去問や演習問題をやっていたので、夏までは力を入れていた基礎問題がすっぽり頭から抜けていることに気づけました。試験本番前にそのことが分かったのは収穫でした」
基礎問題のテコ入れをして迎えた入試本番、滑り止め校を含め3校を受験する日程を組んだ。
どこかは合格がもらえるだろうーー。本人も両親も、そう思っていたという。だが、現実は違った。本命校の1回目が不合格だったのに加え、抑えとして受験した学校でも合格がもらえず、最後のチャンスとなる本命校2回目入試の日を迎えることになってしまったのだ。
知己さんの脳裏に、以前目にしたこの連載の記事『中学受験で"全落ち"した母子の「最終出口」』が浮かび、思わず塾に駆け込んだ。
「塾に泣きついたのはこの時が始めてでした。今からでも間に合う学校を教えてほしいと頼みました」
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