中学受験「全落ち」しかけた野球少年の怒涛の結末 単身赴任を選びながらも挑んだ親子の長い戦い

✎ 1〜 ✎ 15 ✎ 16 ✎ 17 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

東京に帰った孝太郎くんは、重い口を開いた。

「やっぱり僕、野球はやりたい……。5年生の7月にある大会には、どうしても出場したいんだ……」

野球は続けさせてやりたいが、受験を考えると、勉強を全くしないわけにもいかない。悩んだ末に出したのが、転塾という選択だった。受験の要は算数。とにかく、理系科目だけでも続けておこうと、個別対応をしてくれる栄光ゼミナールに転塾したのだ。

その後、単身赴任で離れていた父親の知己さんも、首都圏へ転勤が決まった。孝太郎くんはというと、ケガが治らず、レギュラー落ち。結局、ケガ以降は背番号をもらえぬまま、4年生が終わってしまった。

5年生になるとケガは直ったものの、なかなかレギュラーには戻れなかった。孝太郎くんに与えられた役割は、ノックの時の球拾いや、道具運びといった裏方だ。これが今の自分に与えられたポジション、頑張るしかない。孝太郎くんは弱音を吐くことなく、与えられた役割を全う、自宅では自主練習を再開した。

知己さんはそんな息子の頑張りを支えようと、週に2回は千葉から東京の自宅に戻り、自主練習に付き合った。

こうして迎えた夏の季節、全国大会メンバーの発表日、最後の最後に呼ばれたのは、孝太郎くんの名前だった。苦渋を味わった4年生、下働きの末に手にした背番号は、あきらめなければ道が開けるということを孝太郎くんに教えてくれた。この大会で力を出し切ったのか、大会後、孝太郎くんは上級生のチームには上がらず「受験したい」と言いはじめる。

家庭教師をつけ、父親も本格サポート

「地頭がいいという気はしていました。低学年の時は書店で売られている宮本算数塾というところが出しているテキストを買ってやらせていたのですが、大人でも考えてしまうような問題も、わりとすらすら解けていました。

高校入試で野球の強い学校に入る選択もあるでしょうが、勉強と大学受験の両立は難しいと思っていました。でも、中高一貫校なら、両立ができるんじゃないかと、そんな話をしたら、本人も、受験してみると言い出しまして」(知己さん)

5年生の秋、栄光ゼミナールの個別指導から集団クラスに転籍、家庭教師もつけ、本格的に受験勉強をスタートさせた。

家庭教師には理系科目を依頼し、国語は父親が担当した。野球の練習で培った絆があったからだろうか、孝太郎くんは父親の指導を嫌がらなかった。

とにかく時間がない。国語の問題は、傍線の前後に必ず答えがあるなど、テクニック重視で指導を続けた。しかし、6年生の夏休み明けに受けた四谷大塚の偏差値は46。偏差値60越えの早稲田系の学校には、とても手が届かない。それでも、父親の知己さんは全く悲観的ではなかったという。

次ページ「この偏差値では無理ですよ」
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事