実は、抑えとして受験した学校も入試を複数回実施していた。そのため、これからでも受験が間に合う回もあったが、後半になるにつれ、倍率も高くなる。
家庭教師の先生からは孝太郎くんの場合、第1回入試で落ちたら「それ以降での合格は難しいだろう」ということを言われていた。つまり、成功体験を積ませるために受けるという意味ではリスクが高い。別の学校を受けさせよう……焦る両親を横目に孝太郎くんは意外と冷静だった。
「次落ちたら、高校受験でリベンジするからいいよ」と、今まで考えていなかった学校の入試に今から挑むことには、あまり乗り気でない様子だった。
結局、塾に教えてもらった学校を受けることはせず、最後に残した本命校の2回目のみを受けることになった。もしここが落ちれば、文字通りの「全落ち」となる。
あっという間に本命校の2回目の入試2月3日の朝がやってきた。塾は自宅の最寄り駅の近くにあったが、駅に着くと、塾の先生が改札前で待っていた。
「フレー!フレー!孝太郎!」
大きな声でエールを送ってくれる先生の声が、孝太郎くんの曇りがちの心を引き上げてくれた。引率してきた知己さんに「大丈夫、僕はやれる!」そう言って、孝太郎くんは受験会場に向かっていった。
結末、そして最後に見えた”成長の跡"
そして、孝太郎くんは見事に合格した。最後の最後で、親子でずっと目指してきた、6年間野球が思う存分にできる生活をついに手に入れたのだ。
「試験当日に持ち帰った問題用紙にはいくつものメモがありました。見直した形跡があったんです。ケアレスミスをなくすように一緒に練習してきたことをやってくれていた。ちゃんと自分でできるように成長していたんです。
やるべきことをやった結果、合格できたのだと思います。私が大学受験に受かった時に、自分の父親が涙を流して握手してくれたんですが、息子の合格発表を見た瞬間、私も息子の手を握っていました。あの時の父親の気持ちが分かった気がしましたね。」
首都圏では、中学受験志望者の増加と共に、通塾開始年齢の低年齢化という現象も起きている。塾生活ではひたむきに頑張ることを学べるが、一方で、遊びやスポーツを通じてしかできない経験もある。
スポーツを通して経験してきた苦しさや葛藤、達成感。孝太郎くんの場合、これらの経験が受験にも結びつき、最後まであきらめない粘り強さを見せてくれた面もあったかもしれない。
孝太郎くん親子は、受験という山の登り方にはいろいろな道があるということを、私たちに教えてくれたように思える。
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