賞与の査定のための自己評価についても、繰り返し指摘を受けました。遥花さんはほぼすべての項目を一番下の評価にし、自由記入欄にもいつも、ひとりだけ何も記入せずに提出していたので、心配した上司が「もうちょっと、自分をきちんと評価しなさい」ということを、何度も言ってくれたのです。
以来、遥花さんは少しずつ自分を認める努力をするようになりました。初めて自己評価を「1から2にあげた」ときは、上司が「そうやで。自分頑張ってるって、もうちょっと認めていいんやで」と言い、とても褒めてくれたといいます。
もうひとり、遥花さんに変わるきっかけをくれた人がいました。いま、一緒に暮らしている恋人です。
「今まであまり人と喧嘩とかしたことがなかったんです。相手の言いたいことだけ聞いて『わかった、じゃあそうするね』という感じだったんですけれど、彼は『いやいや、そうじゃなくて、どうしたいの?』と聞いてくれる。『むしろ自分の思いを言ってほしい』と言われて、『あ、言っていいんや』みたいな。そうやって、思ったことを言っても誰も離れていかない経験とか、喧嘩しても受け止めてもらえるんだ、みたいな経験をして、だんだんと思ったことを言えるようになってきました」
家族との関係は、いまも良いということです。母親とも父親とも、妹とも、一対一で出かけることもあれば、四人そろって出かけることもあるといいます。誰も姉の話題にはふれませんが、どこかに出かけてお土産を買ってきたときなどは、「お姉ちゃんにお供えしてあげてね」というのが、当たり前になっているそう。
遥花さんは亡くなった姉との思い出を、自分からは語りませんでした。あまり接点がなかったのか? でも、一度「姉のことはすごく好きだった」と口にしていたので、取材の終盤、姉との関係を改めて尋ねたところ、思ったよりずいぶん仲が良かったようです。
小さい頃からいっぱい遊んでもらい、たくさん話をしたこと。亡くなるしばらく前まで、ゲームセンターやカラオケによく連れて行ってもらったこと。まるで、姉が亡くなったことなど夢だったのではないかと思うほど、当たり前の口調で教えてくれたのでした。
遥花さんは、姉が亡くなった日の記憶について「自分がそこにいた感覚があまりない」と振り返ります。でも本当はそこに、どれだけの悲しみや苦しさがあったことか。その痛みは、遥花さんのなかの、どこか特別な場所にしまいこまれているのでしょうか。
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