朝、学校に行く前には両親どちらかが帰ってくるんですが、私は小2か小3くらいだったので、自分で起きて朝ごはんを食べて準備をして、というのはできてしまっていた。『ちょうどいい年齢』だったから、置いていっても大丈夫だろう、という感じだったのかなと思います」
姉の入院中、両親とともに病院へ向かうこともありましたが、姉は妹たちが病室に入るのを好まなかったため、遥花さんと妹はいつも外で「ひたすら待っていた」といいます。
「片道2時間近くかけて電車で行っていましたが、病院のすぐ近くにちょっと大きめの公園があったので、親はそこに私と妹を置いていくんです。母が私に500円玉か千円札を握らせてくれるので、それからたぶん5時くらいまでの間、私は妹と待っていて。
最初は地元の小さい子とかけっこう遊んでいるので、妹も割りとニコニコしているんですけれど。冬になると早く暗くなるので、みんなすぐに帰っちゃうんです。そうすると、私と妹だけが公園に取り残される。妹も楽しくなくなってくるので、そのタイミングで近くのコンビニに行って、飲み物や肉まんを買ったりして、親が戻ってくるのを待っているんです。その、いつになるかわからない時間を待つのが、一番しんどかったですね」
両親にとって、自分が「ちょうどいい子」であることは、つねに感じていました。
「何をするにも優先順位が決まっていて。一番は精神疾患の姉、二番が幼い妹、そして最後が、ある程度のことができてしまう私だったんです。父はかなり私と妹に気を遣ってくれていたんですけれど、それでもやっぱり視線はどこか、未就学の妹にいっているな、みたいな感じはありました」
「初めてお友達の家にお泊まり」の日に起きたこと
遥花さんが小学4、5年生になると、姉の入院時は、妹と留守番をするようになりました。その頃には家事もある程度できるようになっていたため、両親が帰ってくるまでに、お米を研いで炊飯器のスイッチを入れておいたり、妹をいっしょにお風呂に入れておいたり、洗濯物を取り込んで畳んでおいたりしていたそう。
「そのこと自体は、私は全然しんどくなくて。大家族の大きいお姉ちゃん、お兄ちゃんが下の子のめんどうを見るように、自然な感じでした。『いまは父と母が大変そうだから、私ができる家事をやろう』みたいな。『置いていかれた』みたいな気持ちは、正直その当時はあまりなくて。私にとっては『そういうもの』だったんです」
姉が自らこの世を去ったのは、遥花さんが小学6年生のときでした。その日「人生で初めて友だちの家にお泊まり」だった遥花さんは、食事を終え、お風呂も出て「さあ、これから何をしよう?」とわくわくしていました。そこへ父親から電話がかかってきたのです。
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