「満たされるほど不自由になる」と老子が説く真意 論語と老子に学ぶ「欲」との正しい向き合い方
もう一打を打てば、もっと鋭くなるかもしれない。しかし、ここでやめておくーー。そこに職人の極意があるわけです。
株や為替などの投資は、まさにこの状況にぴったり当てはまります。値が上がっている株を持っているときは「もっと待てば、さらに上がるかもしれない」と期待するでしょうし、値が下がっている場合は「もう少ししたら、上がってくるかもしれない」という思いから逃れられない。
欲望とは際限がないもので、つい「もっと、もっと」と満たそうとしてしまいます。しかし、そんなふうにいっぱいまで満たそうとすると、かえって不自由になってしまう。
東洋思想の根本には「陰極まれば陽となる、陽極まれば陰となる」という思想があって、万物は行き過ぎれば、またもとに戻ってしまう。そんな宇宙の原則を伝えています。欲望が満たされれば満たされるほど、不自由になる。そんな真理を老子は突いているのです。
「ほどほどの精神」はサステナブルにつながっている
物質主義的な資本主義が拡大している現代社会についても、同じようなことが言えそうです。これまで経済は「拡大」や「成長」ばかりを目指してきて、企業も事業が大きくなり、利益が増えることを目指してきました。しかし、それではいずれ行き詰まってしまう。
そんなことに世界が気づき始め、サステナブルというキーワードが広がっています。時代は成長、拡大から、持続可能へと目指す姿が変わりつつあります。言い換えるなら、これは「ほどほどの精神」でもあります。
「欲望」というテーマについて考えるだけでも、じつにさまざまな視点や受け止め方があります。何が正しく、何が間違っているということはありません。今「自分の欲望」と向き合うときに、どんな思想、哲学がよりマッチするのか。それを考えてみることも、おもしろいのではないでしょうか。
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