「満たされるほど不自由になる」と老子が説く真意 論語と老子に学ぶ「欲」との正しい向き合い方

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まさに「富や身分を得たプロセス」こそが大事だと説いているのです。結果や利益を求めるのは大いにけっこう。欲望はまったく否定しない。しかし、そこに至るプロセスこそが大事なのだ。そう論語は教えています。

プロセスを大事にするのは「茶の精神」にも通じるものです。そもそも、お茶なんてものは「ぐいっ」と飲んでしまえば、一瞬で終わってしまいます。茶道では、たったそれだけのことに半日もの時間をかけたりします。場をつくり、所作を正し、精神を清めて、お茶を飲む。それが「茶」というものです。プロセスの美学と言ってもいいでしょう。

近代三大茶人と呼ばれる「鈍翁」「三渓」「耳庵」という人たちがいます。これらは茶人としての号(通称・別名)であり、鈍翁は三井財閥を支えた実業家でもある益田孝。三渓は、絹の貿易などで富を築いた原富太郎。耳庵は、電力業界で活躍し、東京電力の取締役も務めた松永安左エ門です。

「茶とビジネス」の共通点

何よりおもしろいのは、この茶人たちすべてが実業界の実力者という点です。これは決して偶然ではありません。

茶とビジネス。この2つに共通しているものこそ「プロセスこそが大事」という精神です。論語の言葉にあるように、ただ欲望に任せて、利益を得ればいいというものではありません。茶の湯も同じで、ただおいしいお茶を飲めればそれでいいというものではありません。

大事なのはそのプロセスにある。そんなことを論語は教えていますし、渋沢栄一を始め三大茶人と呼ばれる実業家たちも、その本質に気づいていました。

一方で、老子は欲望について何を言っているのか。

 聖人は腹のためにして、目のためにせず。
(賢者は、目に見えるものではなく、腹の中にあるもののために行動する)

「お金が欲しい」「立派なポジションを得たい」「贅沢な暮らしがしたい」といった目に見えるものを求めるのではなく、もっと「心の内の満足」を求める。そう老子は説いているわけですが、これは現代的な感覚とも合致する部分が多いように感じます。

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