堀江貴文「ニセモノの安心を得ている人たちへ」 所有欲に縛られると、やりたいことができない
聞かれても「欲しいもの」はない
若い頃から、僕にはほとんど所有欲がない。車に家、高級スーツに時計、貴金属、有名なアート、トロフィーワイフ……多くのいわゆる金持ちが求めている、「自分の成功を象徴する」ような実体物を、ひとつも持ちたくない。
唯一と言える所有欲は、スマホぐらいだ。仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホも秒で捨ててしまうだろう。
堀江さんは、いま何が欲しいですか? インタビューで、うんざりするほど聞かれてきた。答えたひとつ。「ないです」、話は終わり。つまらないやりとりを繰り返してきた。聞きたい気持ちも少しわかる。
取材の対象になるようなビジネスパーソンは、欲しいものを聞かれると、たいてい何かしら気の利いたアイテムを答えてくれるらしい。「何も欲しくない」という僕のような答えは、拍子抜けなのだろう。サービス精神で何か答えられればいいのだけど……どんなに考えても、欲しいものはないのだ。
かつて持っていたもので割と大きなスケールだったのは、プライベートジェットだろう。資産家の自慢として買ったのではなく、シンプルに海外移動が便利だったからだ。
いまはホンダジェットを、知り合いとシェアして使っている。シェアで用が足りるなら、自分で買って持とうとは絶対に思わない。
そもそも、スペースを取られるものを、なぜみんな欲しがるのだろう。持つことによる喜びや安心は、果たして本物なのか? 持っているものが、いつまでもそこにある保証は、誰がしてくれるのか? 所有するという欲望の根本的な理由は、何なのか? まるで、哲学問答だ。
所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。あるとしても一瞬だ。僕もかつて、所有欲にとらわれていた時代を過ごした。家も車も、ブランド品もワインも腕時計も、買いまくった。でも、その欲はすぐに満たされた。所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている。
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