堀江貴文「ニセモノの安心を得ている人たちへ」 所有欲に縛られると、やりたいことができない
遺伝情報そのものを記録した物体を保つより、「意志」や「精神」「心に描いている実現したい自分自身」が、拡散・継承されていくほうが、自分の生きてきた証になる。つまり自分自身のコピーを、よく多く残すことが、人生の質を上げるのだ。
僕は、僕と同じ思考と行動のできるコピーがいっぱいいて僕と意志を同じくする仲間が増えていくと素晴らしいと思う。僕個人の快感や興奮は、実はあまり重要ではない。堀江貴文的な概念が、多くの若者たちへ、拡散・継承されていくことを願い、多くのビジネスを進めている。いまこうしてやっている書籍執筆も、そのひとつだ。
概念を受け取ったチルドレンたちが、堀江貴文的なものを進化させて僕の想像を叶え、さらに凌駕する未来を創造してくれれば、何よりうれしい。
ゲノムはランダムの要素が多い。だから継承には適さない。概念を記録したデータ、すなわちミームを残していくことに、僕は力を注いでいたい。選び取るべきは“実在よりも概念”なのだ。それ以外のモノは、いらないのだ。
欲しいモノを明確にすれば「何だって捨てられる」
モノにこだわったり、捨てられないのは、欲しいモノが明確ではないからだ。大して欲しくもないモノに囲まれていることで、欲しいモノをわかっていない自分の不充足感から、逃げている。モノをたくさん持ち、偽物の安心を得ていると言える。
僕は昔、創業した会社の名前を捨て、ライブドアに社名変更した。当時はライブドアのほうが、ブランド価値が高かったからだ。創業社名に愛着はないんですか? と言われたが、逆に不思議だった。本当にやりたいことを進めていくのに、ライブドアのほうが断然、都合がよかった。古い社名への愛着とか、どうでもいいんじゃないか?
欲しいモノがはっきりしていれば、何だって捨てられる。チャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』の一節に、こう書いてある。
「欲しいものがわからないと、本当には欲しくないものに包囲されて暮らすことになる」「すべてを失ったとき初めて、自由が手に入る」
文字どおり、僕はかつて、ライブドア事件ですべてを失った。だからこの一節の真実味が、痛いほどわかる。すべてを失った瞬間はつらい。しかし、モノでは満たせなかった自由を、力いっぱい抱き締めることができた。それは真実だ。
僕は、モノの呪縛を解いて、動き続ける。安定じゃなく、刺激あふれる世界にいたいからだ。古い常識に、とらわれたくない。立ち止まりたくないのだ。東大に受かった18歳のときから変わらない生き方だ。
あなたにだって、できる。迷わず「捨てる」生き方は、決して難しくない。何が欲しいのか? 明確にできれば、自分という概念を、どこまでも遠くへ飛ばせるのだ。
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