堀江貴文「ニセモノの安心を得ている人たちへ」 所有欲に縛られると、やりたいことができない
いままで持っていなかったものを努力して持てたとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。この2つは似て非なるもの。混同してはいけない。
獲得は、考え方によっては報酬となる。ノルマ達成や借金返済、投資回収などビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。しかし所有は、報酬ではない。所有はリスクとなる。
喪失の不安、管理の手間、執着心と、ネガティブな感情を抱えることになる。本棚に飾っておいたり、クローゼットにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなものは、存在自体がリスクでしかない。
いったん所有欲に縛られると、「あれが欲しい」「これも手に入れたい」と所有物のために働くようになり、自分のやりたいことに集中できなくなる。所有物が価値を判断する基準となるので、自分が持っていないものを持つ人をねたんだり、ものを失うことを恐れたりと、心は休まらなくなる。
いま大事にしているもので、少しでも重さが気になれば、思いきって捨てよう! そうすれば、新たな行動の意欲を得られるはずだ。
モノも愛着心も、とっとと捨てろ
モノを持つことから早くに解放されている僕には、「捨てるのがいいのはわかっているけれど、捨てられない」という人の気持ちを理解することは、なかなか難しい。
捨てられない、それでもいいと思う。「捨てる」のが上手い人と、「捨てる」のが下手な人。どちらの属性の人も共存しているのが、普通の社会だ。
雑多なものが片づけられないまま、散らかっている。多様性の視点では、豊かな状態だ。何かのエネルギーを生み出す、きっかけとなるかもしれない。
ただそれは広い話で、個人でみるなら、不要物は「捨てる」の一択に尽きる。
「捨てられない」という人は、ゲノムとミームの関係で考えよう。ゲノムとは遺伝情報の総体であり、ミームとは人から人へと拡がっていくアイディアや行動、スタイルや慣習のことだ。人生においては、言うまでもなく、ゲノムよりミームのほうが大事だ。
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