ただ運命は感じたものの、すぐに仕事になると思ったわけではなかった。とにかく、みんなで実話怪談を話したかった。
そこで吉田さんは「とうもろこしの会」という怪談サークルを立ち上げた。中野区などで居酒屋を借りてそこを会場にした。
当時はやっていたSNSのミクシィ(mixi)で呼びかけて集った人たちや、今仁さんがやっていたバンド関係の知り合いなど、ほとんど初対面な面々が15人くらい集まりひたすら実話怪談を話して、そして聞いた。
「当時は今ほど実話怪談が認知されていなかったので、実話怪談ファンは飢えていました。『こんなにも怪談好きっているんだ!!』
と驚くくらい、スムーズに多くの人が集まりました」
当時、吉田さんは婦人画報社の編集部でアルバイトをしていた。編集者に頼まれて出版デザイナーの事務所に行ったり、原稿を運んだり、都内を移動する機会が多かった。
「東京都内の用事はひたすら歩いて移動しました。歩くのが好きだし、速いんです。それで交通費を浮かせることもできました(笑)」
歩いていると、都内の坂や暗渠の場所を把握できた。神社や祠などいわくつきの場所にもずいぶん詳しくなった。その情報を自分のネットラジオで話したりもした。
「東京都心の土地にまつわる実話怪談は、現在の私のメインの仕事になっています。アルバイト時代に歩き回った経験が生かされてますね」
ちょうど、怪談業界も若手を求めていた。吉田さんはうまく時流に乗ることができた。
実話怪談を生業に
少しずつ実話怪談が仕事になっていった。
まだ経験はなかったが、竹書房の実話怪談アンソロジーの単行本に、作品を1本載せることができた。載ったことによる反響はほとんどなかったが、実話怪談業界の知り合いが増えた。
「今よりずっと知名度の低い業界だったので、『お互い草の根で頑張ろう!!』と励まし合いました」
ミリオン出版の雑誌(『BLACKザ・タブー』『不思議ナックルズ』など)では、編集者と現地に行って地元の人に話を聞いて記事にした。
「『実話誌って本当に取材をしてるんだ!!』と驚きました。取材して記事を作るノウハウを覚えることができました」
ロフトプラスワンなどのトークライブハウスでは、実話怪談イベントを定期的に開催するようになった。
2006年からずっと、定期的に実話怪談イベントを続けている。
15年にわたって毎年開催している公演もある。
その頃、心霊スポットに行った様子などをYouTubeにアップしていた。YouTubeでマネタイズができるようになるずっと前であり、かなり時代を先取りしていたと言える。
2011年には、初の単著『放課後怪談部』(六月書房)を上梓した。5年間コツコツと日本各地から集めた実話怪談をまとめた1冊だった。
「2011年から『怪処』という同人誌を発行し始めました。広くオカルトカルチャー全般を扱った本なのですが、こだわりは
『絶対に現場に行く!!』
というものでした。オカルトにとって『場所』というのは非常に大事です。オカルトにとって場所だけが、唯一の確たる証拠だとも言えます。『怪処』は『オカルトと場所』をテーマに10号まで発行しています」
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