当時の吉田さんのメインの収入は高田馬場の個人経営の居酒屋でのアルバイトだった。早稲田大学の学生がよく来るお店で、吉田さんが所属する映画サークル御用達のお店でもあった。
そのほかにも高速道路のトンネルの換気点検の仕事や、塾の講義をビデオ撮影する仕事など、とにかく毎日働いた。
「1年で360日は働いていました。それでもめちゃくちゃ貧乏でした。忙しすぎてみるみるやせていきました。新聞を読んだりする時間もないので、社会情勢もいっさいわからなくなりました。本当はダラダラと大学に何年もいるつもりだったのですが、どうしても4年で卒業しなければなりませんでした。いっそ早く就職したいと思いましたが、それも厳しかったです」
吉田さんが大学4年生のときは、深刻な就職氷河期だった。吉田さんと同じ学科の20人の同級生の中で、就職できたのはほんの数人しかいなかった。
吉田さんは就職活動の勉強をする時間もなかったため、筆記試験すら落ちることも多かった。なんとか頑張って2次試験まで行っても、面接で落とされてしまう。
64社に落ちた末、雇われた出版社に切り捨てられる
「とにかく落ちまくりました。合計64社落ちました。『社会から無視(64)される』という語呂合わせで、いまだに覚えています」
ただ新宿区にある小さな出版社に、
「将来的に正社員になれる」
という約束で雇ってもらえた。
だが「即戦力にならない」という理由で、試用期間半年で首になった。しかも会社の都合で解雇したとなると、問題があるため
「自分の都合で辞めたってことにしてくれ」
と言われた。
吉田さんは強く憤りながらも、了承するしかなかった。
「その出版社に対しては、いまだに遺恨を抱いています」
その後、生活にはさらに大きな転機が起こった。
■自殺を考える日々から怪談に魅了されるように
結局、高尾の実家に引っ込むことになる。
「毎日毎日、自殺を考える日々が続きました。このときがまさに人生のどん底でした」
そんな2005年、吉田さんはたまたま、稲川淳二さんの怪談ライブのチケットを2枚手に入れた。高校時代からの友人である、今仁英輔さんを誘って2人で観に行った。
そして2人とも、稲川淳二さんの怪談に魅了された。
「終わってすぐに
『実話怪談すごいな!! 実話怪談やりたいな!! 実話怪談やろうぜ!!』
という話になりました」
吉田さんはこの日、
「実話怪談は自分の一生のテーマになる」
と直感したという。
実話怪談って
『人が不幸の中で亡くなり、その死のせいでさらに多くの人が不幸になる話』
みたいな暗い話がほとんどです。
とにかく、当時の私は人生のどん底にいました。そんな絶望の淵にいたからこそ、私は実話怪談というコンテンツに引き寄せられたんだと思います」
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