エジプト出身の外国人タレントが歩んできた道のり
フィフィさん(45)はさまざまなメディアで活躍する外国人タレントだ。出身はエジプトであり、現在もエジプト人だ。
バラエティー番組や情報番組で活躍するフィフィさんだが、ブログやツイッターでは歯に衣着せぬ意見を発信し、たびたび話題になっている。
著書『おかしいことを「おかしい」と言えない日本という社会へ』(祥伝社)では、日本が抱える諸問題へ果敢に斬り込んでいる。
日本人にとって耳が痛い話も多いが、フィフィさんが日本とエジプトに対する深い愛情があることも伝わってくる。
フィフィさんがこれまでに歩んで来た道のりを伺った。
フィフィさんは2歳のときに両親とともに来日した。両親は2人とも大学教員だった。
「当時のエジプトの研究者はヨーロッパに行きたい人が多かったそうです。エジプトからヨーロッパは距離も近いですからね」
ただヨーロッパの大学の席はすでに埋まっていた。まだ日本へ行く人は決まっておらず余っていたので、フィフィさんのお父さんは立候補したという。
「父は日本の情報を何も持っていませんでした。言葉もまったくできずに来日しましたから、すごい苦労をしたと思います」
フィフィさんは2歳だったから当時の記憶はほとんどないが、それでもかすかに情景は覚えているという。
「母はお腹が大きい状態で日本に着いて1カ月で妹を生みました。私たちは三姉妹です。大学生が住むような狭い安アパートに5人で住んでいました。
ただ狭いんですけど、とにかく小ぎれいにしていました。小さい頃の写真を見ても、きれいな服を着させてもらっています。決してぜいたくできない環境でしたが、ママは常々、
『清潔感が大事なんだ』
と言っていました」
フィフィさんの両親はまったく知らない日本での活動に苦労をしたが、娘たちには娘たちの苦労があったという。
「私たちは普通の名古屋市の公立学校に通いました。当時はほとんど外国人がいませんでした。だから、どこに行っても私たちが最初の外国人でした。いつも、
『はじめてのケースです』
って言われながら育ちました。
日本語では苦労してないんですけど、クラスの人たちと一緒に過ごしているとどこかで壁が出てきます。『あ、私たちだけ違うんだ』と思うことは何度もありました」
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