フィフィ「日本愛」育み45年、歯に衣着せぬ快活人生 人気タレントの知られざる信念、私生活、仕事観

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「どこに行っても開口一番に『英語をしゃべれますか?』って聞かれるんです。当時私は英語はほとんどできませんでした。アラビア語や中国語はある程度できましたが、それでは意味がないんですね。この見た目ですからわかりやすい『外国人』が求められます。結局、どうしても英語はついてまわるんです。それで3日で就職活動はあきらめて、アメリカに行くことにしました。ママは私が共産主義にかぶれているのを知ってましたから、『アメリカに行く』と言ったら『敵国に乗り込んで何をする気だ?』ってずいぶん怖がってました(笑)」

フロリダ、ニューヨークと渡り住み、2年弱をアメリカで過ごした。日常会話はなんとかしゃべれるようになった。

「帰国後に就職活動をしたらやっぱり『英語をしゃべれますか?』って聞かれました。『しゃべることができます』と答えたら、即日採用が決まりました」

フィフィさんは24歳で名古屋に本社がある、カラオケを主業務とする企業に就職した。

就職した翌年25歳のときに、アメリカで出会った日本人の男性と結婚をした。

「3年後、たまたま夫が東京で就職することになったんです。ずっと名古屋に住んでいて、東京にはほとんど行ったことがなかったんです。やはり日本の中心である東京に住みたいと思いました」

上京、そして外国人タレント事務所に所属

会社を辞めて夫とともに東京へ引っ越した。まだ先のことは何も決めていなかった。

「たまたま夫を六本木で待っているときに、そういえば六本木には『稲川素子事務所』があるな、と思い出しました」

稲川素子事務所は外国人タレントのマネージメントを業務とした芸能事務所だ。稲川素子事務所のホームページには『世界142カ国 5200人の外国人タレントを紹介します』と記載されている。

「電話ボックスの電話帳で稲川素子事務所の電話番号を調べて電話をかけました。そうしたら『今から来てください』と言われました」

事務所内にはたくさんの外国人があふれていた。皆、その場で登録していた。

「なんだか入管審査みたいな雰囲気でした。はい、そこに立って、パシャ!! みたいな感じですね。たまたま稲川素子さんが事務所にいらっしゃいました。『あなたどこの国?』って聞かれたので、『エジプトです』って答えたら『あらそう、がんばってね』って言われました。

その後、『奇跡体験!アンビリバボー』にエキストラで呼ばれました。すぐに殺される死体役と、宇宙人にさらわれる役でした(笑)」

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