フィフィ「日本愛」育み45年、歯に衣着せぬ快活人生 人気タレントの知られざる信念、私生活、仕事観

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それからフィフィさんは就職活動をして、ある会社に就職が決まった。ただちょうど妊娠が発覚しお腹が大きくなってきたため、就職はいったん断った。とにかく、この後のことは子供を産んでから考えようと決めた。

「まだお腹が大きいときに稲川素子事務所から電話があって『マジックに出られる?』って聞かれました。今妊娠してお腹が大きいんですって言ったら、『ちょうどいい。お腹を切るマジックをやりましょう』って言われました(笑)」

出産後、雨上がり決死隊がホストをつとめる『アイチテル!』という番組に出演することになった。

実はオーディションでは落ちていたのだが、

『フィフィさんが持っている強烈なエピソードを話してくれないか?』

と臨時で頼まれた。

「番組に出演したら反響がとても強くて、それから毎週出演することになりました。2年間レギュラーで出演させていただきました。

当時はただの素人外国人ですから、電車でテレビ局に向かうわけです。この外見ですから、街を歩いてると顔バレしまくって大変でした。テレビに出るようになるまで、芸能人としてのトレーニングをまったく受けていませんでした。情報番組のレポーターもぶっつけ本番でした。カメラマンさんに『カメラにお尻を向けては駄目!』とか教わっていました」

あの「徹子の部屋」にゲスト出演

活躍の幅が広がり、稲川素子事務所に本契約をすることになった。テレビに出て1年で、『徹子の部屋』に出演することになった。稲川素子事務所ではルビー・モレノ以来の快挙だと言われた。

「当時、ドッキリ番組に何度も引っ掛けられていたんです。だから『徹子の部屋』も絶対にドッキリだと思ってました。

スタジオに行ったら、黒柳徹子さんはいるし、番組はつつがなく進行していったんですが、それでもドッキリだと勘ぐっていました。

番組の最後でテーマソングが流れているときに黒柳さんに『どうでした?』と聞かれて『ずっとドッキリだと思ってたんですけど、本当だったんですね』と言って、番組は終わっていきました」

バラエティーでのおもしろ外国人としてのキャラクターを確立させつつ、2009年にはツイッターをはじめた。

「『ツイッターなら、言いたいことが言える!!』って思っちゃったんですね。まだそんな時代でもなかったです。発言するたびに、よく炎上していました。元祖炎上系のタレントですね。

ただ、2011年の東日本大震災を契機に芸能人も腹をくくって言いたいことを言う人が増えてきました。それはとてもいいことだと思います」

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