吉田さんは、中央大学附属高等学校に進学した。ほとんどの生徒が中央大学へ進む高校であり、また制服がないなどとても自由な校風でも知られていた。
「学内にすごく大きい図書館があったのも魅力の1つでした。先生には『授業中は本を読みます』と宣言して、本当にずっと本を読んでいました。映画サービスデーには学校に行かずに映画館に行っていました」
高校時代は演劇と映画にとくに興味があった。吉田さん自ら「演劇愛好会」を立ち上げた。部員は1人で、学園祭ではたった1人で芝居をやった。
映画研究部では、現在も吉田さんと一緒に怪談活動をしている今仁英輔さんと出会った。
『人のセックスを笑うな』などの監督作品で知られる井口奈己さんの自主制作映画『犬猫』の製作を手伝った。
「『犬猫』のスタッフの人たちはプロの方たちも多く大変勉強になりました。その映画は早稲田の映画サークルの人たちも手伝っていました。彼らと仲良くなり、私も早稲田大学に進学したいと思うようになりました」
進学したいと思ったとき、すでに高校3年生の夏だった。
このまま在学すれば、自動的に中央大学に進学できる。一方で、もしも早稲田大学を入試した場合、中央大学へ自動で進学はできなくなってしまう。
「入試科目が、英語、国語、小論文だけで、完全に得意分野なので、なんとか行けるだろうと思いました。私以外には誰も入試をしなかったので、出版社が高校に置いていった参考書をすべてもらえることができました。それはラッキーでしたね」
そして吉田さんは見事に合格し、早稲田大学文学部の演劇映像学科に進学した。
映画サークルに入りドキュメント映画を制作
入学後はもちろん映画サークルに入った。
「劇映画(フィクション映画)は自分には作れないという自覚があったので、ドキュメンタリー映画を作ることにしました」
吉田さんには子供の頃から入り浸っている映画館があった。塾を経営するおじさんが個人的に開いている映画館だった。
レンタルビデオショップで借りてきた映画をスクリーンで流すという一風変わったスタイルだった。吉田さんは、その映画館の手伝いをしたこともあったし、大学入学後は塾の講師としてアルバイトしたこともあった。
そのおじさんが映画館の活動をやめると聞き、その顛末を追いかけたドキュメント作品を制作することにした。
「すごい真面目な内容です。当時はオカルトとか馬鹿にしてましたから(笑)。いまだに、将来は大学院に行くか、シンクタンクに行くか、という夢を持っていました」
しかし19歳の終わりの頃、とある事情により吉田さんは圧倒的に経済的に厳しい状況になってしまった。
「遊びはもちろん、勉強をする時間もなくなりました。とにかく卒業するため最低限学校に通う以外は、ずっとアルバイトをするしかなくなりました」
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