東芝のゴタゴタが映す「社長の器」の普遍的価値 サラリーマン社長の思考と行動の本質とは何か

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東芝の社長を辞任した車谷暢昭氏(左)(写真:Tomohiro Ohsumi、Kiyoshi Ota/Bloomberg)

東芝が3年半ぶりに東京証券取引所2部から1部へ返り咲き(1月29日)、喜んだのも束の間。4月14日に発表された車谷暢昭(くるまたに のぶあき)社長の辞任は大きな波紋を呼んだ。これを機にあらためて考えさせられたのが専門経営者の「心」である。本稿では、ノンフィクションのように人を熱く叙述するのではなく、東芝の経営者をケースにして、少し冷めた目で専門経営者の思考と行動の本質をサイエンスとしての経営学と現実を直視するジャーナリズムを融合した視座から解説する。

「専門経営者」は、経営学者の間では当たり前のように使われているが、一般的にはあまり耳慣れない言葉だろう。英語で言ったほうがわかりやすい。“salaried manager”、つまり俸給経営者、俗に言う「サラリーマン社長(経営者)」である。起業した創業者でも創業家出身の事業承継者でもない「企業で出世し頂点を極めた人」とは、どのような「心」を持っているのだろうか。

サラリーマン社長は明治期後期から台頭

そもそも日本においては江戸時代に専門経営者が誕生する土壌ができていた。明治維新後に財閥となる三井や住友のような伝統的大商家には、「番頭」が存在していたのだ。三菱や安田といった幕末以降に成長した新興商人はこうした経験を持たなかったものの、同族経営が数代続いた後、急速に進んだ多角化に伴い、優秀な学卒者を積極的に採用した。この人事戦略により、明治期後期から第1、2次両大戦期を通じて、大企業において専門経営者が台頭する。

専門経営者には3類型ある。

① 新入社員から昇進する「生え抜き」と呼ばれる昇進型
② 転職してきた社員が取締役に就任する移籍昇進型
③ いきなり取締役(社長、会長)に就任するいわゆる「外様」

などである。

近年、カルロス・ゴーン元日産自動車CEO(最高経営責任者)のように墓穴を掘ったケースも見られたが、サントリー、武田薬品工業、資生堂など、現在進行形で評価は定まってはいないものの、「外様」たちの活躍が「プロの経営者」として注目されている。

東芝の歴代トップには「外様」が4人いた。そもそも同社のルーツは、からくり人形「弓曳童子」や和時計「万年時計(万年自鳴鐘)」などを開発した「からくり儀右衛門」こと田中久重氏が1875年(明治8年)、東京・銀座に興した工場(諸器械製造所)に遡る。

1893年(明治26年)に田中製造所から社名を変更した芝浦製作所が1939年(昭和14年)、軽電メーカーの東京電気と合併し、「東京芝浦電気株式会社」が発足した(1984年=昭和59年=に、東京芝浦電気の略称である「東芝」に社名を変更)。新会社の初代社長(専門経営者)として就任したのが、古河鉱業常務から東京電気に転じ、1927年(昭和2年)に社長となった山口喜三郎氏である。芝浦製作所から見れば「外様」であった。

次ページ4人目の「外様」、車谷氏が招かれたきっかけは?
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