東芝のゴタゴタが映す「社長の器」の普遍的価値 サラリーマン社長の思考と行動の本質とは何か

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2人目の「外様」は、1949年(昭和24年)、第4代社長に就いた元第一生命社長の石坂泰三氏である。労使対立が激化し倒産の危機に瀕していた東京芝浦電気を再建した。3人目は、1965年(昭和40年)に、再び悪化した同社の業績を立て直すために石川島播磨重工業(現IHI)社長から転じて第6代社長となった土光敏夫氏。NHKテレビでメザシとみそ汁の一汁一菜の夕食を食するシーンが放送されたことから「メザシの土光さん」と呼ばれた。

車谷氏は4人目、戦後では3人目、土光氏以来53年ぶりの「外様」として、2018年4月に会長兼CEOとして就任。2020年に社長となり改革の陣頭指揮に当たった。金融・保険業界から転じたという点では石坂氏に似ているが、三井住友銀行副頭取の後、東芝に転ずるまで、英国系投資ファンド・CVC キャピタル・パートナーズ(日本法人) 代表取締役会長兼共同代表を務めていたことから、株主重視経営時代の申し子とも言えよう。

車谷氏を招くことになったきっかけは、西田厚聰社長(2005~2009年)が54億ドル(当時・約6210億円)で買収した原子炉技術大手のアメリカのウエスチングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)の経営不振に端を発し、不正会計処理により東証1部上場廃止までに追い込まれたことにある。

西田氏は日本的「生え抜き」ではなかった

一時は、「強いリーダーシップ」を発揮していると見られていた西田氏は日本的「生え抜き」ではなかった。東芝のイラン現地法人にて採用され、31歳のときに東芝本社に入社。国内にいた年月よりも日・米・欧にまたがる東芝の海外PC事業を担当した時間のほうが長い。そういう意味では、社内では「外様」的に見る人も少なくなかった。

西田氏と車谷氏に共通している点は、いずれも東京大学卒(西田氏は大学院修了)で頭脳明晰。勉強家、能弁、戦略的で行動力もある。このような資質にものを言わせ着実に仕事をこなし「目立つ業績」を積み重ねていっただけでなく、上司からも可愛がられ重用された。外の人からもあまり悪い評判は聞かれなかった。西田氏に至っては、一時、「経団連会長に」という噂も聞かれ、本人もまんざらでもないどころか、非常に乗り気であった。車谷氏についても「あの方は頭の良い人ですから」(高校の1年先輩である津賀一宏・パナソニック社長)といった秀才のイメージが広まっていた。

直接、西田氏、車谷氏両トップに会った筆者も、非常に人当たりが良く社交的な印象を抱いた。「財界総理」を輩出してきた東芝では、外面(そとづら)の良さがトップの必須条件であったが、その条件を十分満たしていた(一部のジャーナリストは、その著書などで、東芝の「戦犯」として、西室泰三氏以降の歴代社長を厳しく非難しているが、ここでは、敢えて単なる「外面」について印象を述べた)。

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