日本人が「あまりに無謀な戦争」を仕掛けた真因 歴史のターニングポイントは「ノモンハン事件」

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日中戦争が泥沼化しつつあるおりゆえ、この事態を早期に解決すべきだという意見もあったが、結局、現地の関東軍は戦線を拡大していき、第二十三師団を全面投入していった。ただ、大本営は援軍を送らなかったので、兵力は敵の4分の1程度(異説あり)だった。

しかもソ連の機械化部隊には歯が立たず、約1万7000人の死傷者を出して完全に第二十三師団は壊滅状態となった。師団の約3割が戦死したというから、大敗北だといえる。

ただ、近年、ソ連・モンゴル軍のほうが犠牲者が多く、戦いでは日本軍のほうが優勢だったことが判明している。壊滅的な打撃を受けたものの、関東軍の参謀たちは負けていないという感覚が強かった。これは軍中央との大きな違いだろう。また、武器についてもソ連軍の高度な機械化は事実に反するという説もある。

ドイツにふりまわされる日本

なお、日本軍とソ連・モンゴル軍が激戦を演じている最中の8月23日、驚くべき外交上の出来事が起こった。独ソ不可侵条約が結ばれたのである。これまで反目していたドイツとソ連が手を組んだのである。じつは日本は、ソ連など共産主義に対抗するため、昭和11年(1936)、日独防共協定(翌年イタリアが参加)を結んでいた。ところが日本にまったく知らせることなく、ドイツはソ連と不可侵条約を結んだのである。

この外交上の失態を受け、平沼騏一郎内閣が総辞職してしまったのである。さらに、である。翌9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻、するとイギリスとフランスがドイツに宣戦、第二次世界大戦が勃発したのである。

この事態の急変を受け、大本営は関東軍に戦闘の停止(3日間)を厳命、その間に日本政府はソ連に停戦を申し入れた。しかも国境は、ソ連とモンゴルの主張するラインを受け入れてしまった。つまり結果を見れば、ノモンハン事件は日本側の敗北に終わったのである。

さて、寡兵な日本軍が優勢だったノモンハンでの戦いだが、大本営はこれ以後、ソ連への対応は極めて慎重になった。積極的にソ連と対峙すべきだという北進論が影を潜めたのである。またこの事件での責任を負わされ、関東軍の参謀の多くは予備役に編入された。いっぽうのソ連は、日本との全面戦争の憂いがなくなると、ドイツに続いてポーランドへ侵攻していった。

逆に日本では南進論が台頭してくる。東南アジアへの進出である。日中戦争は2年以上が過ぎても終わる気配がなく、85万人を超える将兵を投入し続けたので、日本国内では物資の不足が深刻化しはじめる。

どうにかして国民政府を降伏させたいが、イギリス、アメリカ、フランス、ソ連などが大量の物資を送り続けているので困難だった。逆に日本に対して列強諸国は、経済制裁を強化する一方だった。

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