日本人が「あまりに無謀な戦争」を仕掛けた真因 歴史のターニングポイントは「ノモンハン事件」

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このため、石油やボーキサイトなど資源が豊富な東南アジアへ進出しようというのが南進論である。北進論が消滅したのに加え、ドイツが連戦連勝を続け、フランスを降伏させ、イギリスを追い詰めていた。それがますます国民の南進論への支持を過熱させた。

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このため日本政府は昭和15年(1940)に日独伊三国同盟を結び、さらに翌年、ソ連と日ソ中立条約を結んだのである。こうして北進論を完全に放棄した日本は、ドイツの勝ちに乗じて、英米との戦争覚悟でフランス領インドシナなどへの進出を開始してしまう。

その結果、アメリカが大いに怒り、日本への石油輸出を止め、結果として日本が暴発するようなかたちで太平洋戦争へなだれ込んでいくのである。ノモンハン事件による北進論の衰退・放棄からの南進政策の実施が、こうした流れをつくったわけで、まさにノモンハン事件は歴史のターニングポイントなのである。

なぜ無謀な太平洋戦争に突き進んだのか?

それだけではない。NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の制作にあたった田中雄一氏は、その著書『ノモンハン 責任なき戦い』(講談社現代新書)で「日本はなぜ無謀な太平洋戦争に突き進んだのか。国家の破綻を避けることができなかったのか」という問いを発し、「戦後、数多くの識者や専門家たちが投げてきたこの問いにひとつの示唆を与える出来事が『ノモンハン事件』である」と明言する。

さらに「ロングセラーとなった『失敗の本質』(戸部良一他)も、ノモンハン事件を「失敗の序曲」というべき戦いと位置づけている」として「情報の軽視、兵力の逐次投入、軍中央と現地部隊の方針のずれなど、そこには太平洋戦争で噴き出す日本軍部の欠陥が凝縮されていた」と論じ、「ノモンハン事件を太平洋戦争へのポイント・オブ・ノーリターンだとするならば、日本軍はなぜそこで立ち止まり、進むべき道を再考できなかったのだろうか」と述べている。まさにその指摘どおりだと思う

ちなみにノモンハン事件の責任者の一人とされた辻政信は、一時左遷されたが、昭和16年(1941)に復権し、真珠湾攻撃と同時におこなわれたマレー半島奇襲上陸の作戦を主導し、その後も軍中央の命令を軽視して独断で戦いを進めていった。その後も辻のせいで、作戦に大きな混乱や支障を何度も招くことになった。

河合 敦 歴史研究家

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かわい あつし / Atsushi Kawai

歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1965年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆・監修のほか講演やテレビ出演も精力的にこなし、わかりやすく記憶に残る解説で熱く支持されている。著書に『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)、『歴史の勝者にはウラがある』(PHP文庫)、 『禁断の江戸史』(扶桑社新書)などがある。

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