日本人が「あまりに無謀な戦争」を仕掛けた真因 歴史のターニングポイントは「ノモンハン事件」

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さらに、満州事変は経済的な理由も大きかった。世界恐慌から脱するため、イギリスやフランスなどは、他国の商品に高関税をかけたり輸入制限をおこない、自国と植民地とのあいだ(ブロック経済圏)で保護貿易政策をはじめた。このため、日本の商品は売れなくなった。

こうなってくると、植民地が少ない帝国主義国家は不利だ。だから新興国のドイツやイタリアは植民地の再分配を求め、軍事力を強化して他国へ侵攻し植民地を増やしていった。同じく日本も本土・台湾・朝鮮・満州と支配地を拡大し、ブロック経済圏(円ブロック)の確立を目指したのだ。

国民政府の蔣介石は毛沢東の共産党との内戦を優先し、日本軍の侵略を黙認してきたが、華北分離政策が進むと方針を転換、共産党と手を組んで中国から日本勢力を排除しようと決意した。

そんな状況の昭和12年(1937)7月7日、日本の支那駐屯軍が北京郊外の盧溝橋付近で夜間の軍事演習をしていたさい、銃撃をうけた。これを中国軍の攻撃だと考え、日本軍は中国軍に戦いをしかけて戦闘に発展した。世にいう盧溝橋事件である。紛争は現地で停戦が成立したが、近衛文麿内閣が軍部の意向を受け増派を決定したのである。

すると共産党と連携した国民党の蔣介石は徹底抗戦を宣言、日中両軍の全面衝突に発展してしまう。ドイツが仲介にはいって講和交渉(トラウトマン和平工作)がおこなわれるが、近衛内閣は相手への条件を厳しくするなどして破綻させた。

陸軍参謀本部などは、広大な中国との全面戦争は、ソ連に対する備えを薄くすると反対したが、近衛内閣はさらに「国民政府を対手とせず」という声明を発表し、講和・交渉の相手である国民政府を否認して戦争収拾の道を自ら閉ざした。

こうして日中戦争が泥沼化するなか、列強諸国は国民政府を支援するようになる。ソ連も支援国の一つであった。蔣介石が中国共産党と手を結んだからである。

社会主義国・ソ連との対立

ここで日ソ関係について簡単に説明しよう。第一次世界大戦中にロシア革命が起こると、日本はアメリカやイギリスとシベリアに出兵して革命を牽制、ソ連が誕生したあとも日本軍はシベリアに駐留し続けたが、大正11年(1922)に撤兵し、同14年に日ソ基本条約を結んで国交を樹立した。

だが、天皇制を国体とする日本は、社会主義国家であるソ連を警戒し続けた。日本の傀儡である満州国が樹立されると、その国境はソ連と接するようになり、国境付近では小さな紛争がたびたび起こり緊張状態が続いていた。

日中戦争が始まると、今述べたようにソ連が国民政府を支援したこともあり、日ソ関係はさらに険悪となった。ソ連は国民政府と相互不可侵条約を締結し、同政府に大量の軍需物資を輸送するとともに、極東に軍備を増強するようになる。

そして昭和13年(1938)7月、ソ連軍がソ連・満州国・朝鮮の国境地帯にある張鼓峰(豆満江下流の小丘陵)に陣地を構築したのである。このため朝鮮に駐留する日本軍は、第十九師団を送って張鼓峰周辺のソ連軍を撃退した。

しかしこのとき昭和天皇は武力行使を認めず、ゆえに大本営も許可していなかった。なのに勝手に動いたわけだ。このように関東軍をはじめ海外の大陸や半島に駐屯する日本陸軍は暴走する傾向が強く、これが結果として日本を破滅に追い込む一因となる。

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