本連載の第9回で、「物価上昇率の差に等しい率で為替レートが変動し、その結果、購買力は一定に保たれる」という「購買力平価」について述べた。日米両国で実質金利が同じであるとすれば(同じ生産技術を使っているのだから、そうなるはずである)、これに物価上昇率を加えたものが名目金利なので、日米両国の名目金利の差は物価上昇率の差に等しくなる。したがって、金利平価は購買力平価と同じものである。
「金利差で稼いだ分が、円高で吹き飛んだ」というのは、「金利平価が結局は正しかった」ということだ。つまり、最初からわかっていたことなのである。対外資産から01年以来144兆円もの収益を上げられたのは確かにすばらしいことだったが、それは幻の144兆円だったのだ。
FX取引で海外との金利差を稼いだ人の多くは、その後の円高で儲けを失った。退職金を外貨投信にして「毎年分配金があるので好都合」と思っていた人も同じだ。これらは広義の円キャリー取引である。通常の円キャリー取引は円建ての債権なので、円高になっても貸手である日本の銀行は損失を被らない。しかし、それら以外の日本の対外資産の多くは円建てではないので、損失を被ったわけだ。
もっと賢明な対外資産の運用はなかったか
ところで、「ドル建ての債権なのだから、ドルで評価すれば損していない」という意見があるだろうと前回述べた。これはもっともな意見である。いま、原油を買うことを考えてみよう。原油はドルで取引されているので、日本の対外資産が円評価で減少したといっても、変わらぬ量の原油が買える。それはそのとおりである。しかし、もっとうまい方法で資産を蓄積していたとすれば、もっと多くの原油を買えたはずなのだ。
一般に「損した」というのは、「別のことをやっていた場合に比べて」ということである。つまり、「よりよい結果をもたらすもっと賢い方法があったにもかかわらず、その方法を採用しなかったため、最善の結果を得られなかった」ということなのである。
では、日本が富を蓄積する方法として、もっと賢い方法はあったのだろうか? 答えは、イエスである。