大学は、アニメーション学部が創設されたばかりのカリフォルニア・インスティテュート・オブ・ジ・アーツ(キャルアーツ)へ別大学から編入。そこで教えを受けたのは、ディズニーをリタイアした才能あるアニメーターらだった。
卒業後、めでたくラセターもディズニーのアニメーションスタジオの一員となる。だが上述したように、間もなくクビに。その彼を拾ったのが、ジョージ・ルーカスが経営するルーカス・フィルムだった。そのグラフィックス部門には、現在のコンピュータアニメーションの基礎を作ったエド・カットマルやアルヴィー・レイ・スミスら後の大物が在籍していた。
この部門は1986年にルーカス・フィルムから分離し、スティーブ・ジョブズが大株主になった。ジョブズが、自ら創設したアップル・コンピュータを追われた後のことだった。独自のアニメーション技術を搭載したハードウエアを販売したり、他社のコマーシャル・フィルムを製作していたりしたピクサーは、一時は経営危機にも見舞われた。しかし、1995年に公開された『トイ・ストーリー』のヒットをきっかけに、大きな挽回を図っていく。現在は、ディズニー・スタジオの一部門となっている。
ジョブズとも近かったラセターは、ジョブズがある時、こう言ったのを覚えているという。「アップルでコンピュータを作っても、製品はよくもって2~3年だろう。5年もすれば、ドアの重しになってしまうだけだ。けれども、映画には永遠の命がある。だから、いいものを作らなきゃならないんだ」。
人間の歴史にはいつもストーリーの存在があった。先端テクノロジーと、ラセターのような才能あるクリエーターがストーリーを生み出す時代に生きるわれわれは、幸運である。
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