ドラゴン桜が推薦「日常の価値を見直す」3冊 「タイトルしか知らない名著」の要点を紹介

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では中動態とはいったいどんなものなのか? その名称からして、「する」と「される」のあいだの様態であることは推測できる。卑近な例をとれば、悪い人にカツアゲされるときの行動がそれだ。あからさまではないものの、脅され逃げ場のない環境に陥った人は、直接的な暴力によってお金を取られるのではなく、その場の圧力・権力に屈するかたちで自発的にお金を差し出す。

環境や状況が働きかけて必然的に行動するのが、能動でも受動でもない、中動の様態ということだ。

中動態に当てはまる言葉や概念は、以前から日本語の中にもあった。古語で「きこゆ」などというときの「ゆ」がまさにそれ。聞こうと意識したわけではないが、ごく自然に耳に入ってきた、というようなニュアンスの表現だ。「自然の勢い」と称されるような、こうした自発の言葉がかつて存在したのである。

中動態を表す言葉は世界中にあり、現在はあまり表に現れないとはいえ、われわれの文化文明の核は中動態的な考えにこそあるのかもしれない。

著者の國分は、中動態的思考を推し進めた思想家として、17世紀オランダの哲学者スピノザの名前を挙げる。スピノザは人間の自由を強く訴え、「自己の本性の必然性に基づいて行為する者は自由である」と定義したという。必然的な法則に従って行為する、それはまさに中動態が表す世界だと読み解く。

そうして、國分は次のように結論づけるのだった。

「われわれが、そして世界が、中動態のもとに動いている事実を認識することこそ、われわれが自由になるための道なのである。中動態の哲学は自由を志向するのだ」

『中動態の世界』まとめ

新しいものの見方を提示してくれる論に触れると、いきなり視界が開けたような心理的変化が得られるものだ。

中動態というニュートラルな状態に入ることを、自分の生活の中で試してみよ。それだけで肩の力が抜けて、より能力を発揮できたり学習効率が上がったりする効果が期待できるだろう。

次ページ2冊目は「普通の人の日常」を描いた名作
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