ドラゴン桜が推薦「日常の価値を見直す」3冊 「タイトルしか知らない名著」の要点を紹介

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『思い出トランプ』向田邦子 新潮文庫

指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。

『寺内貫太郎一家』などで知られる脚本家の残した文章は、すべて昭和に書かれたものであるのに、いまだみずみずしさをまったく失わない。なぜか。おそらくは時代を超えて営まれ続けてきた、普通の人の日常を慈しみながら描いているからだ。

向田はラジオ、テレビ、映画の脚本からエッセー、小説までと、ジャンルを超えて書きものをした。『思い出トランプ』は小説短編集で、どの話も市井の人のささやかな生活が題材になっている。ごく限られた数の登場人物の、心理をじっくり見つめることだけで、1編ずつがかたち作られている。そうか小説とは、起伏ある物語を楽しむより前に、人の心情のヒダをたどれることが醍醐味だったと再確認させられる。

「かわうそ」と題された作では、出だしからして、「指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった。」という描写がくる。実はある身体的変化に見舞われているひとりの男が、茫然と頭の中で考えを巡らせている様子を、このたった1行がよく表している。

「大根の月」という作品に出てくる男はまず、これまでの人生で昼間の月を見たことがない人物として描写される。

そのエピソードだけで、あくせく下ばかり見て暮らしてきた小人物なのであろうことが、痛々しいまでに伝わってくる。

どの短編も平凡な家庭を舞台にしているのは、設定をできるだけ普通で平坦にしたほうが、心情の起伏だけを際立たせることができて好都合だからかもしれない。

外形的には何ら波風が立っていなくとも、人の心理や感情はいつだって波瀾万丈で味わい深いもの。小説はもちろん、実生活だってきっと同じなのだと、向田作品が教えてくれている。

『思い出トランプ』まとめ

向田邦子の「人生の達人」風な思考法をマネしてみよ。ものごとをじっとよく見て、微細な変化を逃さぬよう努めていると、どんなささいな部分にも、これまで気づかなかったよさや意味があると知るはずだ。

次ページ3冊目は19世紀フランス小説の代表作
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