音楽通以外も知ってほしい「黒人と歌」の苦闘史 ロック、R&B、ヒップホップの源流は黒人音楽
1862年にリンカーン大統領によって奴隷解放宣言が出され、1865年には奴隷制が全廃されます。しかし黒人たちは農地の所有者にはなれず、土地を借り、設備や農具を揃えるために借金をし、生活は苦しいままでした。
同じ1860年代、白人たちのあいだでは、白人が黒焦げのコルクで顔を塗りたくって黒人に扮し、歌や踊り、話芸や寸劇などを見せる「ミンストレル・ショー」という大衆芸能が最盛期を迎えています。
ミンストレル・ショーの俳優の1人が、「ジャンプ・ジム・クロウ」という歌にふざけた踊りをつけて、「ジム・クロウ」というキャラクターを作り出しました。日常的に黒人と間近に接したことがなかった白人たちは、愚かで無知なジム・クロウが典型的な黒人の姿だと思い込み、黒人のステレオタイプ化につながります。
このキャラクターが、南部を中心に1870年代から行われた白人と非白人の人種隔離をする法律や条例、社会基準などを指す「ジム・クロウ法」の言葉の由来になります。学校、交通機関、劇場、レストランなどの公共施設において人種の分離が行われ、黒人たちの政治参加の権利がはく奪されました。
社会的差別を受けながらも、奴隷制廃止は黒人たちの生活に浸透していき、次第に自由な時間、余暇を生み出しました。堂々と恋愛したり、酒場で飲んだりといった精神的・金銭的余裕が生活を豊かにしていくのです。
フィールド・ハラーが「ブルース」に変化
南部の田舎にある「ジューク・ジョイント」と呼ばれていた酒場では、黒人たちが酒を飲み、ギャンブルに興じるなかで、生演奏が行われていました。これまで労働のために歌われていたフィールド・ハラーは、ここでより個人的なこと――やり場のない怒り、孤独感や日々の憂鬱さ、「女と遊びたい」「酒が飲みたい」というような欲求――を表現するものへと変化します。これが「ブルース」と呼ばれるようになりました。
初期のブルースは、アコースティック・ギターによる弾き語りスタイルが基本でした。歌の上手さや演奏の巧みさで人気を得る者が現れ、ロバート・ジョンソンのようなスターが生まれます。
ミシシッピ州に生まれ、ミシシッピ川の沿岸都市からシカゴまで演奏してまわったジョンソンは、優れたギター・テクニックの持ち主として知られたミュージシャンです。そのあまりの凄さに、「ギターのテクニックと引き換えに、クロスロード(十字路)で悪魔に魂を売り渡した」という伝説(クロスロード伝説)が残されています。
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