音楽通以外も知ってほしい「黒人と歌」の苦闘史 ロック、R&B、ヒップホップの源流は黒人音楽
また、1914年から1950年にかけて、多くのアフリカン・アメリカンたちが、より高い生活水準を求めて大移動する「グレート・マイグレーション」が起こります。たとえばミシシッピ州からシカゴというように、南部の田舎から北部の工業都市へと大移動するとともに、音楽も都市部へ持ち込まれました。そしてブルースは、新たなスタイルへと変化し始めます。
その立役者となったのが、マディ・ウォーターズです。ミシシッピ州の出身のウォーターズは、1943年にシカゴに移り住み、ブルースにエレキギターを持ち込んでバンド・スタイルに発展させました。これがロックの源流の1つとなります。
アメリカに連れてこられた奴隷たちは、雇い主たちに強制的にキリスト教に改宗させられます。そして賛美歌を受け入れるなかで、白人たちから教わった祈りや歌を独自のものに変えた「黒人霊歌」が生み出されました。
奴隷制が廃止されると、黒人たちは自分たちの教会を持ちたいと考え始めました。当時の教会は白人のクリスチャンたちが集まる場所だったからです。そうしてできた黒人たちの教会で「ゴスペル」は誕生しました。
現在のようなゴスペルのかたちは1920年代後半、グレート・マイグレーションで多くの黒人たちが移住したシカゴで完成したとされています。酒場では、毎日の生活に漂う、やり場のない「ブルー(憂鬱な気分)」を歌うブルースが演奏されている一方で、教会では、イエス・キリストを称え、「希望」を歌うゴスペルが演奏されました。
このゴスペルを俗っぽくしたのが、1950年代から1960年代初めにかけて登場する「ソウル」です。ゴスペルの歌い方、ハモリ方は生かされつつ、歌詞の内容が世俗的なものに替えられました。
レイ・チャールズが1959年に発表した「ホワッド・アイ・セイ(What'd I Say)」は、ソウル初期の代表作の1つです。神様を賛美する聖なる歌をなんと、セックスの歌に替えてしまったことで、白人たちから猛批判されるだけでなく、敬虔な黒人のクリスチャンたちからも総スカンを食らっています。しかし、チャールズは、エルヴィス・プレスリーやビートルズといった白人のミュージシャンたちにも大きな影響を与えたのです。
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