「絶対安全」が好きすぎる日本人に伝えたい盲点 ISOやHACCPが世界の主流になった納得の理由

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事故があったときに「誰が悪いか」の責任を問う目的で調査すると、皆が保身に走り、真実が見えにくくなり、次の事故を防ぐ妨げになる。だから、巨大システムで事故が起こったときは、システムの問題点を洗い出し改善するために個人の責任は問わない方がいい。

この考え方も、スペースシャトルの事故などを経て、欧米ではすでに一般化しているが、日本では理解されないことが多い。それも結局、問題が起こるのは「誰かが悪い」からで、モラルに欠けた人がいなければ問題は起こらない――つまりは、絶対安全が何かの理由で毀損されるから事故になるという思想が日本人の根本にあるからだ。

だからこそ、絶対安全という建前を明確に捨てることが、社会をより安全に近づけるために重要であるとされ、技術分野における安全哲学の大転換となったのである。

安全分野で日本の存在感がまったくなくなっている

しかし残念なことに、日本は技術の具体論には長けているが、「口に出さないでも現場の阿吽の呼吸でコンセンサスができてしまう」という「長所」のために、この種の哲学論議を他人と戦わせるのは不得意だ。

そのためか、このISOでの「機能安全」の規格制定をリードしたのはその種の哲学論に長けた欧州勢が中心で、安全分野で以前は雄弁だった日本はまったく存在感がなくなっている。

例えば、ネジなら基準となる強度や腐食耐性等の規格を定め、完成品の抜き取り検査などで、それが満たされているかをチェックすることで安全性を保証できる。つまりは、ある条件内で使うなら安全だと言える。

しかし、複雑なシステムでは、そもそも設計にミスがあり、1個のネジに想定外の力がかかるということもありうる。そうなれば、全体としては安全でないことになる。

そしてプログラムのデバッグのように、複雑なシステムではどんなに完成品を検査しても想定外を完全に取り除くことはできない。絶対安全を捨てるというのはそういうことであり、そうなると「安全度」を事後検査で測定するのは不可能ということになる。ではどうするか、ということで打ち立てられた概念が「プロセス認証」だ。

完成品を検査することで基準どおりの仕上がりであることを認証するのでなく、それを作る過程が基準どおりの手順を踏んでいるかを確認し、それにより完成品がある「安全度」に達していると「みなす」という考え方で、従来的な工業基準からすると異質だ。

しかし、例えば鉄道の運行で「指差し確認」をちゃんとやっているかなど、製造でない運用の現場の安全管理ではむしろ一般的な考え方だった。完成品はその開発・製造プロセス全体の運用の「結果」だとするのが、このプロセス認証による「機能安全」という考え方なのだ。

次ページ食の分野で「機能安全」の考え方を採るHACCP
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