「絶対安全」が好きすぎる日本人に伝えたい盲点 ISOやHACCPが世界の主流になった納得の理由
新型コロナについて、発生の初期に正しい情報を、科学的にはっきり言える人はどこにもいなかった。では「正しく恐れる」の言葉が無力かというと、それも正しくない。ここでつねに頭に置くべきなのが「程度の問題」という言葉だ。
例えばマスクの有効性について、当初、感染症の専門家で「WHOの言うように効果がない」という人もいたが、「口鼻周りを触る頻度が減るとか、少しでも効果はあると思うので、した方がいい」という人もいた。しかし公衆衛生の専門家は、おおむね「院内感染を避けるための医療関係者のマスクや、高齢者のマスクが手に入らない状態はまずいので、健常者は手洗いの徹底でいい」という意見が多かった。
「少しでも効果があるなら、した方がいい」というのが感染症専門家にとっての「正しさ」であったとしても、公衆衛生の専門家は「本当に必要な人のために、少しの効果ならやめた方がいい」として、「正しさ」を天秤にかけている。
そしてマスクの供給が安定してきた時点で、WHOもマスクの着用を奨励するようになったが、夏になると「熱中症の危険もあるので、マスクは無理にするのでなく体調と見合わせて」という指摘も出した。
全体として安全の確率を上げることしかできない
「確かな指針」を求める人にとっては不安かもしれないが、結局すべての「正しさ」は、「0か1か」ではなく「程度の問題」だ。これをしていれば大丈夫という絶対安全はどこにもなく、状況に応じてリスクやコストとのバランスで、全体としての安全の確率を上げることしかできない。
「経済より命が大事」と言うのは簡単だが、経済失速で失われる命もある。それを天秤にかければ、エボラなら鎖国でも、新型コロナなら経済を取るというのもありだ。さらにその天秤の目盛りすら不確かで、事態は日々変わり、その時々の「正しさ」を選択するしかない状況が続く。
天秤の目盛りたる国民の死生観が違うために、スウェーデンでは老人のリスクより社会活動の維持を重視し、コロナ対策を最小限にしたと言われている。
結果として、2021年1月の時点では人口比で日本の20倍近い死者数になっており、その多くが老人だという。それでも多くの国民が政府の判断を支持しているという。それが、スウェーデン国民が判断して選択した「正しさ」だからだろう。
どう判断しても、将来的には間違いとなるかもしれない。唯一言えることは、このように複雑な問題に対し、極端だからこそ単純で魅力的な――「0か1か」の解答を求めるのは「絶対」間違っているということだけなのだ。
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