塩野 いまのお話を50歳の朝倉さんが言うなら「そうですね」で終わってしまうけれど、まだ31歳じゃないですか。朝倉さん個人としてはこれからどういう動きをするんですか。
朝倉 めちゃくちゃかっこよくいうと、坂本龍馬じゃないけど、別に明治政府のなかでポジションはいらない。遊撃軍のほうが動きやすいし、課題解決ができるなら立ち位置は何でもいい。それを非常に強く感じたのが、島根県の隠岐諸島にある海士町という離島に行ったときのことです。官と民がお互いに行き来しながら協調して町づくりに取り組む様を見ることができた。
この島は地方自治体として先進的な取り組みをしていて、面白いんですよ。ここ10年ちょっとの間に、特産品の岩牡蠣や隠岐牛のブランド化に成功したし、高校の生徒数が100人を切ってしまったのを、6年くらいの間に倍増させているんですね。高校がなくなってしまうと家族ごとよそへ移ってしまうから、人口減少に歯止めが効かなくなる。だから高校生を増やすことに、町の命運を賭けてトライしている。
海士町はなぜ快進撃をしているのか
塩野 どうやって高校生を増やしたのですか?
朝倉 島外留学生という制度をつくって、他県にもうちの高校に進学しないかと呼びかけています。そして高校の魅力を高める試みの一つとして、町営の塾をつくって、塾と高校が連携するようにした。保護者や本人の了解をとって成績表をクラウドで共有したり、高校で宿題が多いときは塾の勉強を減らしたりと一体となって取り組んだ結果、早稲田や慶應の合格者を出すほど学力が向上しています。
そういう死にもの狂いの取り組みの結果、たかだか人口2000人ちょっとの島が、この10年くらいにいろんな快進撃をしているんです。「世界一のド田舎モデルをつくる」と宣言して、海藻からエネルギーをつくるようなことにも挑戦していますよ。
僕の見立てですが、なぜそれができたかというと、ひとつは民間出身の山内道雄町長のリーダーシップ。もうひとつは平成の大合併のときに、隣の島と合併せず単独町政を貫いたことだと思います。そうすると国から降ってくる補助金も限られるので、自立せざるを得ない。そうやって自分たちを追い込んで挑戦し続けてきた。また3点目としてUターン者、Iターン者を積極的に呼び込み、町おこしに関与してもらった。彼らがさらに人を呼ぶという好循環ができている。
塩野 なるほど。
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