「鬼滅の刃」大ヒット支えた日本人の新しい信仰 「好きなことして生きていく」の次に来る価値観
そして、このような、「人の役に立ちたい」という心持ちは、決して個性を否定するものではありません。「自分が最もやりたいこと」は世界に1つかもしれませんが、「最も多くの人が自分にやってほしいと思っていること」も世界に1つです。
世界には、埋められることを待っている欠けたピースがたくさん存在します。そんな中で、自分にしか埋められないピースを探す。それも、最大のピースを探す。それを探索するプロセスを「個性の探求」と呼ばずして何と呼びましょう。
天職を英語で「コーリング」と言いますが、個性や天職は「みんながあなたを呼ぶ声」なのかもしれません。いや、それは自分自身で見つけるものだ、という生き方・考え方もあるでしょう。私はそれを「芸術家のように生きる」と呼んでいます。
それに対して、相手からスタートし、相手の期待に応えることで自分の個性を見つける生き方を、「マーケターように生きる」と呼んでいます。なぜなら、マーケティングはつねに相手(顧客)からスタートし、自分たちにしかできないやり方で相手の期待に応えることを追求する営みだからです。
「鬼滅の刃」の大ヒットが照らす令和の希望
このような価値観は、明治・大正・昭和的な「全体主義」とは明確に異なります。「全体(社会や会社)のために個が存在する」と考えるのが昭和の全体主義、「個人の自己実現のために社会や会社がある」と考えるのが平成の個人主義でした。
令和の新しい価値観は、これらいずれとも異なります。それは、個と全体がお互いを支え合う「ホールネス」の価値観です。
ホールネスは、私たちの身体と臓器の関係性に象徴されます。例えば膵臓は小さな臓器ですが、それなくしては身体全体が立ち行きません。しかし、同時に、身体全体がなければ、膵臓は単体では存在できません。
このように個と全体がお互いを支え合う「ホールネス」の価値観において、コミュニティーや社会全体への自分の貢献を考える。これが令和の新しい価値観なのではないでしょうか。
『鬼滅の刃』主人公の竈門炭治郎は、つねに自分を顧みず、人のために戦い・生きる奉仕の人ですが、「柱」を頂点とした組織の階層構造には果敢に挑みかかります。「柱」だからといって、それだけで相手を尊敬したりはしません。個と全体が支えあうホールネスの価値観においては、個と全体に優劣はないからです。
竈門炭治郎が映し出す世界は、新しい日本人の信仰であり、令和の希望なのだと私は考えます。
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