第2の同盟「日豪」協調がますます求められる訳 ともにインド太平洋フュージョンを深めよ

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アジア太平洋における日豪の地域政策は、アジアと太平洋とを分断させないフュージョン思想に根差し、アメリカのアジアへの利害関心をこの地域の多角的枠組みの中に組み込む戦略計算に裏打ちされている。1989年にキャンベラで第1回会議が開かれ、その後首脳会議に格上げされたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)はまさにこのフュージョン理念を反映した地域連携イニシアチブだった。そして、APECそのものも舞台裏では日豪が手を携え立ち上げたのである。

APECはその後、マレーシアのマハティール首相の提唱したEAEC(東アジア経済会議)のようなアメリカ抜きのアジア主義の逆流に見舞われたが、日豪はAPECが体現する開かれた経済地域主義を推進してきた。いま、アメリカが漂流する中、中国は同じようにアメリカを排除した地域連携の動きを加速化させようとしているかに見える。

それに対して日豪には、開かれた経済地域主義をインド、アフリカにまで広げるインド太平洋フュージョンの旗を掲げた協力が強く求められる。アメリカの大統領で任期中、APEC首脳会談のすべてに出席したのはブッシュ大統領だけである。日豪が提携して、アメリカに大統領の出席を働きかけたことが大きい。

稲垣満次郎が夢見た日豪提携構想

私は四半世紀前にAPECの誕生劇を記した『アジア太平洋フュージョン APECと日本(Asia Pacific Fusion Japan’s Role in APEC)』を著したが、その中で19世紀末の日本人外交官、稲垣満次郎が夢見た日豪提携構想を取り上げた。稲垣は英語で著した『東方策(Japan and the Pacific)』の中で「オーストラリアは日本にとってかくも重要な近隣国の1つになりつつあるのに、なぜ、日本はオーストラリアともっと密接な関係を構築しないのか不思議だ」との問いを発している。

太平洋における海洋国の朋友を持ちたいという稲垣の思いは、日英同盟という形で部分的に実現するが、その後日豪提携論は長い間浮上しなかった。しかし、いま、日本とオーストラリアはグアムを経由して海底ケーブルで結ばれようとしている。日豪が南北の太平洋をつなぐ稲垣満次郎の夢は、実現に向かいつつある。

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