須賀:コロナ禍の日本では「不要不急」という言葉が叫ばれ、「文化」や「アート」の価値や重要性が厳しく問われる中で、国のリーダーから「文化」の価値がきちんと語られることがほとんどなかったように感じます。コロナ禍における、日本の「文化」をめぐる一連の動きについてはどのようにご覧になられていましたか?
「文化」や「アート」の価値は数値化するのが難しい
片岡:どうしても容易に数値化できるものがわかりやすいので、政治においても、得票率や支持率といった指標を使って、いろいろなことの価値を判断していくと思うのですが、「文化」や「アート」の価値は数値的な指標で測ることがとても難しい。ですが、ドイツのモニカ・グリュッタース文化大臣のようにそれが必要不可欠であることを明言できる人もいます。先行き不透明なときだからこそ、「イマジネーション」と「クリエーティビティー」という2つの意味での「創造性」「想像性」が重要になると思います。
今は、社会全体として大きなマイナスの状態ですよね。そして、このような状況をプラスに転じていくためには、これまでの歴史を俯瞰しながら、その中で何を変えていくべきで、何を継承すべきなのかという問いかけが必要になるはずです。そういった場面では、とくに「想像/創造力」が欠かせません。
現代アートには、いろいろな見方がありますが、それぞれの作品が生まれてきた文脈や歴史を参照しながら、作品をどう読み込むのかという知的な作業は、そういった、歴史に対する問いかけの訓練をするためにも大きく役立ちます。とりわけ日本が今後成長していくためにはアジア地域との協働が不可欠ですが、そのためには20世紀前半の日本による統治時代の歴史にも目を向けることが大前提になるでしょう。現代アートの批評性という側面は、既存の概念に一度疑いをかけ、真実を探求し、その今日的な妥当性を考えることでもあるのです。
須賀:2019年の『あいちトリエンナーレ』でも、「アートに政治を持ち込むな」と声をあげる人がいました。その真意はおそらく、「アート」とは、一種の娯楽であり、楽しむためにあるものなので、不愉快なものは見たくないということだと思うのですが、そのようなアート観はコロナ禍の社会でも広がっているようにも感じます。社会における「アート」の役割や価値に対する理解を、どのように広げていくかということは大きな課題でもありますよね。
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