攘夷計画を実行するか否か――。実に3昼夜にわたって激論が行われた。
このまま結論が出ないかにも見えたが、徹底して話し合ううちに、おのおのが客観的な状況を把握し始める。冷静になればなるほど、最新情報を踏まえた長七郎の意見は、やはりほかの誰よりも説得力のあるものだった。
「結局、ただの百姓一揆と同じように見なされてしまうだろう。少しは天下の士気を鼓舞することはできるかもしれない。しかしその効果は実にささいなものだ」
とりわけ長七郎のこの意見は、渋沢の決意を揺るがせた。己の命を駆けて、行うべきものなのかどうか。そんな本質的な問いとなり、自分へと向かってきた。答えは明らかだった。
「犬死にするかもしれない。なるほど長七郎の説が道理にかなっている」
渋沢は計画の中止を決断。みなもそれに従うことになった。この議論について、渋沢はのちに、こう振り返っている。
「現在から見ると、そのときの長七郎の意見のほうが妥当であって、自分たちの決心はとんでもなく無謀であった。長七郎が自分たち大勢の命を救ってくれたといってもよい」
みんなの意見を踏まえて、1つの合意を得る
500社の経営に携わった渋沢は「資本主義の父」と呼ばれるが、渋沢自身は「資本主義」ではなく「合本主義」という言葉を使った。合本主義とは「使命や目的を達成するのに最適な人材と資本を集めて、事業を推進させる」という考え方である。
そのためには、誰かの独断で方向づけてはならない。みんなの意見を踏まえて、1つの合意を得る必要がある。とことん話し合うことで、間違った判断を防げる。渋沢が人生のターニングポイントで、そんな実感を得た意義は大きかったことだろう。
だが、渋沢はこの先に待つ運命など知る由もなく、完全に路頭に迷うことになった。すでに実家は捨ててしまったし、そうまでして遂げようとした使命も、もはや失われた。だが、意気消沈している場合ではないことに、渋沢は気づく。
当時、「関東取締出役(かんとうとりしまりでやく)」という幕府の役人が治安維持のため、犯罪者の取り締まりを行っていた。今回の計画を察知して、実行犯を探していたとしてもおかしくはない。
人間は夢中になっているときほど、行動の大胆さに無自覚である。渋沢も、それまでは、幕府の役人など斬り殺してしまうつもりだったのに、急に怖くなってきたようだ。喜作とともに逃亡している。
無様な姿だが、みっともなくても生きる道を、渋沢は選んだのだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら