故郷を追われるように出立した渋沢と喜作。江戸に数日滞在したのち、京へと向かった。
攘夷計画は断念したものの、「身を立てて、国家の役に立ちたい」という渋沢の志は変わらない。天皇のおひざ元である京ならば、諸藩の大名も集まってくる。志のある同志との出会いもあるだろうと、渋沢は考えた。
京都行きにあたって、渋沢が頼った人物がいた。一橋家の家臣、平岡円四郎である。平岡は役人らしからぬ気さくさで、書生たちともよく交わり、渋沢や喜作とも懇意の仲だった。
渋沢はかつて、平岡からこんな誘いを受けたことがあった。
「君たちは、本当に国家のために尽くすという精神が見える。だが、身分が農民では仕方がない。一橋家に仕官してはどうだ」
このとき、渋沢には攘夷の計画があったため、明答を避けたが、今は事情が大きく異なる。京都で再び平岡を訪ねると、渋沢は喜作とともに一橋家に仕官する道を選ぶことになった。
最もチャンスの多い場に身を置く
すべてを失ってしまったときというのは、裏を返せば、最も身軽なときでもある。このときの渋沢は追われる身であり、慎重を期す必要はあったものの、何の責務も背負っていないという意味では、自由である。同じ計画に加担した尾高惇忠が、年長者で戸主だったために故郷を離れられず、計画の後始末に追われたのとは対照的だ。
誰にも期待されていない状況は、誰の期待にも応えられる状況ともいえよう。そんなときに、最もチャンスの多い場に自分の身を置く。そこに渋沢の卓越したセンスを感じる。
幕府へのクーデターの挫折から、一転して、一橋家の家来となった渋沢。そこでは、さらなるキーパーソンとの出会いが待っていた。
江戸幕府、最後の将軍、徳川慶喜である。
(文中敬称略、第4回につづく)
【参考文献】
渋沢栄一 、守屋 淳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)
渋沢栄一『青淵論叢 道徳経済合一説』 (講談社学術文庫)
幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)
木村昌人『渋沢栄一 ――日本のインフラを創った民間経済の巨人』 (ちくま新書)
橘木俊詔『渋沢栄一』 (平凡社新書)
岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
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