哲学者が議論「監視の技術」はいつ誕生したのか 近代特有なのか、古代にも存在していたのか

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フーコーの議論を変更するとき、大別して2つの方向を考えることができるでしょう。1つは、「パノプティコン」のイメージは残しつつ、内容をアナログからデジタルへとアップデートすること。もう1つは、フーコーの議論に欠けているのものを補完すること。最初に、前者のほうから見ていきましょう。

たとえば、アメリカの情報論者のマーク・ポスターは「スーパー・パノプティコン」という概念を提出して、フーコーの議論をアナログからデジタルへと変えたのです。

現在の「コミュニケーションの回路」やそれが作りだすデータベースは、一種の〈スーパー・パノプティコン〉を構築している。それは壁や窓や塔や看守のいない監視のシステムである。(……)社会保障カード、運転免許証、クレジット・カード、図書館カードのようなものを個人は利用し、つねに用意し、使い続けなくてはならない。これらの取り引きは記録され、データベースにコード化され加えられる。(……)諸個人は情報の源泉であると同時に情報の記録者でもあるのだ。(ポスター『情報様式論』)

現代社会で「監視」は強化されている

たしかに、デジタルネットワークが配備された現代社会を考えるとき、フーコーが分析した「監視」は、いっそう強化されています。現代の著名な思想家スラヴォイ・ジジェクも、次のように語っています。

いまやほとんど忘れられてしまったオーウェルの〈ビッグ・ブラザー〉という概念が生活のデジタル化の生みだした脅威によって近年息を吹き返している(……)じっさい、我々の日常生活のデジタル化は〈ビッグ・ブラザー〉的コントロールを可能にしており、これに比べれば、かつての〈共産主義〉秘密警察による監視など、幼稚な子どもの遊びに見えてしまう。(ジジェク『全体主義』)

しかし、「パノプティコン」と現代のデジタルテクノロジーを、安易に組み合わせることができるのでしょうか。というのも、フーコーの「パノプティコン」は閉鎖空間であるのに、現代のデジタルテクノロジーは空間的にも時間的にも開かれているからです。「いつでもどこでも」がデジタルな監視の特徴になっています。

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