哲学者が議論「監視の技術」はいつ誕生したのか 近代特有なのか、古代にも存在していたのか

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マシーセンによれば、監視の技術は近代に特有なわけではなく、それ以前の社会にも存在したのです。また、もう1つの側面、つまり「見世物(スペクタクル)」の側面もまた、近代において飛躍的に発達しました。フーコーは見世物と監視を、古代と近代にふりわけたのですが、むしろ2つの側面が古代にも近代にもあったのです。

フーコーは、加速度的に増大している近代の監視システムに関して、我々の理解を深める点では大いに寄与したが、(……)もう1つの極めて重要性をもつ反対のプロセスを無視するのである。つまり、監視システムと同時に起こり、同じように加速度的に発展しているプロセスである。具体的には、マスメディア、とくにテレビであり、それは(……)多数の者に(……)少数者を見るようにさせるのである。(同)

こうした観点から、マシーセンは「シノプティコン(synopticon)」という概念を提唱しています。フーコーの「パノプティコン(panopticon)」が「すべて(pan)」と「見る(opticon)」の組み合わせだったのに対して、「シノプティコン」は「いっしょに、同時に(syn)」と「見る(opticon)」の組み合わせになっています。

こうして、社会的な秩序を形成するには、2つの方向から行う必要があります。1つは、フーコーが示したように、少数者が多数者を監視することです。しかし、マシーセンはこれでは不十分と考え、もう1つの方向を補完します。

重要な役割を果たす監視とメディア

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つまり、「多数者が少数者を見る」ことで、これは「見世物」の側面に対応しています。現代のマスメディアでは、ごく少数のスターや政治家が注目され、人々の生活や行動様式を導くように、コントロールという面では「シノプティコン」の側面が重要なのです。

こうしたマシーセンの議論は、フーコーの「監視」とアドルノの「文化産業」の議論を組み合わせたように見えます。もちろん、現代のデジタルネットワーク社会については、別様の理解が必要で、マシーセン自身は最近の著作において「ポリオプティコン(Polyopticon)」という概念を提唱しています。

ラジオ・テレビといったマスメディア、監視のテクノロジーなどは、いずれも、現代において重要な役割を果たしています。しかし21世紀のテクノロジーはここから決定的に転換しているのです。

では、21世紀のテクノロジーは、わたしたちをどこへ導くのでしょうか。あらためて考えることが必要になるでしょう。

岡本 裕一朗 玉川大学 名誉教授

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おかもと・ゆういちろう / Yuichiro Okamoto

1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。ほかの著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシヤ出版)など多数。

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